2010年12月15日水曜日

2010年観戦ランキング

2007年2008年2009年に引続き、毎年恒例。


それでは。


☆2010年1位☆ 日本vsデンマーク(FIFAワールドカップ南アフリカ)


改めて今振り返ってみると、本当に良く現地まで(しかも、3戦目のデンマーク戦に)足を運んだものだと自分でも感心してしまうのだが、そもそも何で南アフリカまで行ったのかと言うと恐らく、今まで訪れたことの無いアフリカという地、そしてそれなりに?危険と言われる南アフリカにワールドカップという機会を利用して、とりあえず行ってみたかったのだと思う。日頃から、観光そっちのけでスタジアムへ行ってしまうので、ほぼ移動と観戦のみの弾丸ツアーであろうがそこは関係なく、むしろ愛すべき我らが日本代表の勝利(もしくは、敗退)がそこで観れるのであればさらに良いでは無いかと。ということで、言うまでも無く、最高の瞬間に立ち会うことができそして、ワールドカップの楽しみ方を体験し、さらに己の経験値が恥ずかしくなる位、強烈なサポーターの皆様方と触れ合えたことが一生の宝物となった。こういう経験は、これから先1度あるか無いかだろうなとつくづく思う。試合前の国歌、最高でした。


☆2010年2位☆ 日本vsイングランド


ドイツに発つ前に、岡田ジャパンの船出を国立で見て以降、代表戦をまともに見たのは現地で観戦したオランダ戦のみであったと思うが、ワールドカップが近づくに連れ、本当に、デンマーク戦が2敗した後の消化試合となるのでは無いかと、口には出さないもの、一種の諦めのようなものは持ちつつあった。しかしながら、イングランド戦の試合内容も然ることながら、偶然発見したグラーツの代表宿舎でバスに乗り込む選手、監督、スタッフの姿を見たときに例え2敗で迎えようとも応援する、できるという決意が生まれた1日であった。今思えば、チームとしての一体感のようなものがあの時点で既に垣間見えていたような気がする。


☆2010年3位☆ ドルトムントvsブレーメン


ただ同じ日本人というだけなのに、ここまでたくさんの人からここまで大歓迎されていいのかと。純粋に、ミーハー的な感覚でフットボールを堪能できた素晴らしいゲームであった。そして、そのプレーを含めて香川は心底スゴイなと思った。


☆番外☆ ザンクトパウリvsHSV


赴任当初、ザンクトパウリの試合を初めて見たときに、まさか1部の試合でダービーが実現するとは夢にも思わなかった。ザンクトパウリのホームで行われたこの試合は、ザンクトパウリのサポーターがHSVという好敵手を迎えてハンブルクダービーという一つのお祭りを作り上げようという心意気が、随所で見られた。そしてHSVも、格が違うとばかりに意識していないように見せかけて、相当に意識している感じがとても面白かった。試合後、あのような形になってしまったのは頂けないが、次回HSVホームのダービーでは、HSVが積極的に良い意味でハンブルクに誇る祭りを作り上げて欲しいものである。今から、楽しみで仕方が無い。



フライブルクのクリスマスマルクト



ドイツ、冬の風物詩と言えばクリスマスマルクト。今回は、フライブルクへ。ドイツの至る所で行われているクリスマス・マルクトは各都市毎に個性があり、そこが面白いのであるが、失礼を承知で言えばフライブルクのクリスマスマルクとは他のそれと比べて有名では無く、実際に行ったところこれと言って特筆すべきものは無かったのだが、


これと言ったものが無くても、その街に住む人が家族や友人、自分の好きな人とマルクトを訪れ、グリューワインやソーセージ片手に一つの時を過ごす雰囲気は、やはりその街その街によって違いがあり、素晴らしいなと。ちなみに、伝統的な手工芸品を狙うなら?フライブルクのクリスマスマルクトらしい。




2010年12月13日月曜日

フライブルクvsメンヘングランドバッハ(矢野出場試合)観戦記


ドルトムントを堪能した翌日、フランクフルトから特急で約2時間、スイスやフランスとの国境近い、ドイツ南西の街フライブルクへ。フライブルクは、今シーズンで浦和を退任となり、その後の体制からも何の為の2年間だったんだと思わずにはいられないフィンケが名将として名を馳せた街であり、我らが矢野が今シーズンより闘いの場として選んだ街である。


フライブルクは、環境都市として有名であるが、フライブルクのホームスタジアムであるbadenoba Stadionは、屋根に太陽電池が備え付けられ、電力を賄っておりそして、今ではどのスタジアムでも見られるが、ビール等を買った時にカップに対してデポジットを行う、リユースカップの先駆け。話によると、フィンケもそのようなチームの環境に対する取り組みに対し自らも積極的に推進をしていたようで、チーム設立以来初めて1部に昇格させたという事実からも相当な名将であることに違いないのだが、それはさておき、浦和のこの2年間は一体何だったんだろうと言わずにはいられない。


フライブルクのスタジアムは、太陽電池云々を除くと、マインツ等ドイツの中堅クラブに良くあるようなキャパシティと造りのスタジアム。この日も、若干広めに造られたアウェー席の一角以外は、ほぼ満員。その大学が昔から有名であるように、街自体がルール工業地帯に代表されるドルトムントやシャルケとは趣が異なるのだが、それがスタジアムからも感じられ、ゴール裏のサポーターもとても大人しい感じと井手たちで、まさしくオラがチームを応援するといった感じの素敵なスタジアムである。


さて言うまでも無く、フライブルクへは我らが矢野を応援しに遠いところ足を運んだのであるが、残念ながらベンチ外。この日も、下位に沈むメンヘングランドバッハに対し、3vs0と快勝し、現在ヨーロッパリーグ圏内の5位につける。その快進撃を支えるのが、13点を挙げ得点ランキング1位タイにつけるシセ。この試合でも2点を決め、交代の際にはスタンディング・オベーションの中、颯爽と歓声に応えながら意気揚々とまるで何かのスターの如く、ゆっくりと徒歩でベンチに下がっていたところをお約束のイエローカード。矢野が彼の牙城を崩し、スタメンを張るには相の当な努力と運が必要であることは間違いないが、個人的には大変お気に入りの選手なので、引き続き愚直に頑張って欲しいものである。

香川を見た翌日だけに、選手に取っていつどのチームに所属するかは、サッカー人生を左右するとても大きな要素だなと想いながら、中央駅へ向かうトラムで帰路に着いた今日この頃。頑張れ!矢野。


2010年12月12日日曜日

ドルトムントvsブレーメン(香川出場試合)観戦記


今シーズンのブンデス・リーガを首位で突っ走る、ドルトムントの世界に誇るべきホームスタジアム、Signal Iduna Parkへ。8万超のキャパシティを持ち、ほぼ全ての試合が満員となるその名の通り、熱狂的なスタジアムである。


ヨーロッパのスタジアムは、ピッチの近さがその主要因であるが、演出を含めて1つのサッカーの試合が、まるでオペラのように素晴らしい雰囲気を醸し出す。その中でも、シアター・オブ・ドリームスと称されるマンチェスター・ユナイテッドのオールド・トラフォードやリヴァプールのアン・フィールド等は秀逸であるが、ドイツでは間違い無くナンバー1に数えられるのがこのスタジアム。


ドルトムントのサポーターが織り成すゴール裏は、2万5千人の立ち見席から成る。と普通に語ってみたのだが、2万5千人の立ち見というものが如何に凄いことかはそれなりのサッカーファンであれば、お分かりになるだろう。これまた、それなりのサッカーファンには常識であるが、ヨーロッパの主要リーグの中で立ち見が認められているリーグはドイツのブンデス・リーガのみ。チャンピオンズ・リーグ等のUEFA主催のゲームでは、ドイツのスタジアムでゲームが行われる場合でも、基本的には立ち見ができなくなる。ちなみに、その入手を含めてスタジアムで遠慮無くビールが飲めるのもブンデス・リーガだけだと思って頂いて間違い無い。あー素晴らしきドイツ。


と言うことで、我らが香川である。日本で報道されている通り、まさしく移籍後、大の活躍をしていることが今回の観戦で良く分かった。まず、スタジアム隣接のファン・ショップでは香川の23番だけユニフォームのプリントが売り切れの状態。ドルトムントに到着するや否や、カガワ!だのシンジ!だの例のチャントだの、やたらと声を掛けられる。別に中田が全盛期の頃に現地に言ったことがある訳では無いが、他の日本人選手所属のスタジアムに行って掛けられる種の声とは一味も二味も違う。我々と香川は何のつながりも無く、頑張っているのは香川以外の何者でも無いのだが、サポーター皆が大歓迎の意を持って、我々日本人に接してくれている様。帰りのフランクフルト行きの電車でその日のアウェイでのケルン戦帰りのフランクフルトサポーターとも数多く接したが、そこでもやたらとカガワ!といった感じ。セレッソで活躍し始めた頃は、自分は既にドイツに居た為、そして彼はワールドカップにも出なかった為、きちんプレーを見たのは初めてだったが、既に世界のトップリーグの1つと言えるブンデス・リーガの試合においても周りとは一線を画したパフォーマンス。特に、そのスピードとトラップを含むドリブルは素晴らしい。自分がHSVファンであることをひとまず忘れて、是非とも今シーズンのマイスターシャーレそして、来シーズンのビッグイヤーを目指して熱き指揮官クロップそして、最高のサポーターと共に突き進んで行って欲しいものである。


セルティック・パーク以来か、日本人選手がチームの中心としてバリバリやっているチームの試合を訪れたのは。既にご存知の通り、この日はスーパーなゴールを決め、何でも無い我々までもが周りのサポーターからたくさんのハイタッチを求めらたのであるが、純粋にとても楽しいゲーム、スタジアムだったなというのが率直な感想。もっともっと多くの日本人選手が海外に出て、色々な街でそこに住む人たちを虜にして欲しいものだなと。そして、その街をこの足で訪れたい。ビバ、日本!



2010年12月11日土曜日

2010年観戦記

去年は、25試合と自他共に認めるマニアの名に恥じない観戦歴となり、振り返ってみて今年はあんまり行ってないなと想いながら数えてみたところ何と21試合も。


懲りずに来年も、経験値を粛々と重ねていきたい。


トットナムvsハルシティ


HSVvsPSV


HSVvsシャルケ


マインツ05vsヴォルフスブルク


HSVvsフラム


カターニャvsパレルモ


日本vsイングランド


水戸vs草津


ドイツvsガーナ


日本vsデンマーク


U-20女子日本vsU20-女子ガーナ


HSVvsニュルンベルク


ザンクトパウリvsHSV


HSVvsヴォルフスブルク


バイエルン・ミュンヘンvsマインツ05


フラムvsトットナム


HSVvsバイエルン・ミュンヘン


コットブスvsボーフム


HSV女子vsポツダム


ドルトムントvsブレーメン


フライブルクvsメンヘングランドバッハ



2010年12月5日日曜日

ブリュッセル旅行記(飯のみ)


恥ずかしながら、ブリュッセル(ベルギー)が美食の街とは訪れる迄、知る由も無かったのだが、地理的にも何故かは分からないのだが、ムール貝が名物で美味。バケツ一杯のムール貝とポテト(勿論、ドイツの方が美味しい)、ビールのセットメニューが定番。ちなみに、このムール貝は小さいサイズのもの。


基本的に、あまり食にこだわりは無い方なので、牡蠣の云々について語るつもりは毛頭無いのだが、これまた美味。


そして、今回のメインディシュッシュであり且つ旅行のトッププライオリティ、ヨーロッパ在住の駐在員の中で非常に有名なちらし寿司。そこは港町、ハンブルクの日本食レストランでも当然ながら食べることができ、その味に全く不満は無いのだが、このボリューム感と味には普段魚を食べることができない地域にお住まいの方ならずとも、言葉そのままに「美味しい」と呟かざるに得ないことだろう。


個人的にハンブルクは勿論、旅行先でも日本食レストランを訪れることが1つの日課であるが、どこのレストランのマスター、大将も良い意味で個性的。この日の「三辰」も、珍味の会には必須のイカの塩辛をお土産に頂き、ホテルに帰った後もその味を堪能させて頂きました。

我々は、夜の開店直後(ていうか前)にお伺いして問題なしだったのだが、予約した方がベター(というか必須に近い)とのこと。ブリュッセルを訪れた際(むしろ、その為に)には是非!


2010年12月2日木曜日

ポートフォリオ2010年11月末

最近、目指すのは債券の割合を減らすと共に、新興国の割合も減らすこと。ということで、今月より積立する投信も変更を行ったのだが、前月末から比べるといい具合な変化となっております。しかし、日経平均もなかなか1万円オーバーで安定しませんねぇ。そして、ユーロ円も。まだまだ110円付近の円高状態は続くのかな。


 





 



2010年12月1日水曜日

2010年11月振り返り

2010年の目標(順不同)


1.ブログを365記事投稿し、1日100アクセスの達成。


⇒11記事/30記事 △(香川の活躍により、ブンデス・リーガへの注目度が高まり、何かをきっかけとしてブログへのアクセスが集中することが最近よくある。12月中に、何とか1日100アクセスを達成したいものである。ドルトムントに行くので、香川がハットトリックでもしてくれればいけるかな。)


2.早朝ラン&7時出社を習慣付ける、早く帰る。体脂肪13%切る。短時間睡眠に挑戦。


⇒5ラン/25ラン △(1度初めて、アルスター湖1周を達成し以降、本格的な冬の到来と共に膝に痛みを覚え走れず。まさしく、日々のコツコツとした走りが大切だなと実感した今日この頃。)


3.南アフリカに行く。


⇒◎ done


4.バーチャルで簿記1級の試験を受けて合格し、簿財の勉強を始める。


⇒× やる意志も無く。


5.毎日英語を音読し、EconomistとHarvardBusinessReviewは必ず読み、大学受験用の文法書と単語集を1冊ずつ終える。FinancialTimesを購読する。


⇒× やる意志も無し。


6.NHKのラジオドイツ語講座と、参考書1冊を完璧にし、日常会話をマスターする。


⇒△ 一時帰国の際の見栄の為?ちと、再開。


7.ツイッター等を利用し、旧友と繋がる仕組を作る。


⇒○ 中学校の同級生と久しぶりにやり取りが発生。


8.読む本の数を減らす。


⇒○ いい感じで本を読んでいない。良いのか悪いのかは、甚だ疑問だが。


9.フランスを含めてヨーロッパの未だ行ったことのない国に3ヵ国行く。


⇒◎ デンマークとベルギーへ行き、done


10.週1回の掃除を含めて、家を綺麗にする。車も綺麗に。


⇒◎ done


11.積立継続、ユーロの貯蓄、運用を始める。


⇒○ 愚直に地道に継続中。


今年も早いもので、一時帰国まであと残り約2週間。できることは限られているので、ブログとRUNとドイツ語に注力し、後はクリスマス前のドイツをとことん楽しみたいな。



2010年11月26日金曜日

2010年の旅路備忘録

「人生とは旅であり、旅とは人生である」by Hidetoshi Nakata


ということで、若い(残念ながら、既に若くないが)うちにできるだけ旅に出て、可能な限り経験値を上げ、今後の人生に活かそうとハンブルクに来てから週末は可能な限り、どこかに行くことにし、結婚式を終え一緒に住む様になってからも劣ることなく妻をも引き連れ、珍道中に出ているのだが、今年最後の「海外」旅行を週末に控え、振り返ってみる。


1月 ロンドン(トットナム観戦)


2月 ベルリン(ベルリナーレ、ベルリンフィル)


3月 マインツ(マインツ05観戦)


4月 シチリア(シチリアダービー観戦)


5月 オーストリア(日本vsイングランド観戦)、フランス(パリ、リヨン、アヴィニョン、マルセイユ)


6月 水戸(北関東ダービー観戦)


【結婚式】


南アフリカ(日本vsデンマーク観戦、ドイツvsガーナ観戦)、アウグスブルク(U20女子ワールドカップ)


7月 フランクフルト(ドイツJカップ参戦)


8月 ニューヨーク(アバクロ、ヤンキース、ミュージカル)、カンクン(ジンベイザメ、チェチェンイツァ)


10月 ミュンヘン(オクトーバーフェスト、バイエルン・ミュンヘン観戦)、ロンドン(フラム観戦)


11月 コットブス(マイセン、コットブスvsボーフム観戦)、コペンハーゲン(がっかり)


【予定】


ブリュッセル(がっかり、ちらし寿司)


12月 デュッセルドルフ辺り(ボルシアMG観戦、ラインダービー観戦@レヴァークーゼン、クリスマスマルクト、日本食)、ドルトムント辺り(香川、矢野、クリスマスマルクト)、北海道(登別、蟹)、博多(長渕)、呼子(イカ)


ということで、色々と理由はあるのだろうが以外にも独身貴族時代よりも今の方が頻繁に旅行に行っている。我ながらその積極性が素晴らしい。来年はとりあえず、ポルトガル、北欧には必ず行きたいね。



2010年11月16日火曜日

HSV女子vsポツダム(永里出場試合)観戦記



ドイツは、サポーターというそれを含め、あらゆるカテゴリーでサッカーが盛ん。この日は、初めて女子ブンデスリーガの試合を観戦。我らがHSV女子は、HSVのトップと同じユニフォームそして同じテーマ曲で入場。音響は悪いが、その日も周りのサポーターと同様に、HSVをトップと同じように応援する動機を与えるに十分なコンディション。


この日試合が行われたスタジアムは、トップのホームスタジアムから程良く近いところにある、HSV女子が主戦場としているスタジアム。横では、HSVのアイスホッケーやらブンデスリーガの4部辺りの試合やら、日本がお手本としているドイツのスポーツクラブのシステムが如何に充実しているかを感じさせるに十分な環境。


この日も、ヨーロッパチャンピオンのポツダムが相手とあってかどうか、(そもそもこの人数が多いかどうかも分からないのだが。)2,000人がキャパのスタジアムに、789人のサポーターが集い声援を送った。近年、なでしこジャパンの活躍により、マスコミへの露出度が急増した女子サッカー、男子のそれと同じくドイツが世界トップクラスであることは良く知られており、最新のFIFA女子ランキングではアメリカに次ぐ2位。来年、地元で開催される6回目の女子ワールドカップでは勿論、優勝候補の一角として挙げられる。残念ながら、開催都市にハンブルクの名は挙げられていないが、女子というカテゴリーではあるものの、自国開催のワールドカップでどのような雰囲気を味合うことができるのか、今から楽しみである。ちなみに、HSV女子の選手もポツダムの選手もふつうに可愛い選手が多かったことは特筆しておくべきことかもしれない。


さて、昨年より日テレ・ベレーザよりポツダムへ移籍し、ドイツで闘う若きサムライ達の1人、そして日本人初のチャンピオンズ・リーグファイナリストの永里選手。おそらく以前もプレーを見たことがあるとは思うのだが、きちんと見るのは今回が初めて。この日は、後半からの途中出場で積極的なランニングでボールを導き出し、モッテルと言わざるを得ないでしょう、先制となる決勝点を決め、試合後はサイン攻め、写真攻め、完全なこの日のヒロインとなった。(試合が終わった途端、ピッチはドイツ的な無秩序状態となり、ロッカールームへと向かう選手と自由に絡むことができる。)

未だ行ったことは無いが、ポツダムはハンブルクから比べると疑いも無く田舎。日本人もほとんどいないのでは無いか。サッカー選手と言えども、練習時間は1日の内で数時間、私生活面で結構大変であることは想像に容易い。永里選手の日々のブログを拝見すると一発で分かるのだが、そのような環境下、自分が目指すべきものに向かって愚直に進んでいく姿が、その走る姿から少しでも垣間見えた気がして、例によって自分も日々精進しなければと思う日曜の昼下がりであった。


試合への影響も何のその、低予算で上げる為?長時間の移動をもろともせず、ヨーロッパ中を闊歩するチームバス。チャンピオンズ・リーグ連覇と共に、なでしこジャパンの来年ドイツでの栄冠を祈念して。永里選手、ナイスゴール!お疲れ様でした。


2010年11月15日月曜日

コペンハーゲンがっかり旅行記


2010年の終わりも近づこうとする今日この頃、フランスを含めてヨーロッパの未だ行ったことのない国に3ヵ国行く。という目標を立て、2ヵ国目として訪れたのは、南アフリカでの歴史的勝利で記憶に新しいデンマーク。ベントナーに代表されるように皆デカイ。ちなみに、イブラヒモビッチに代表されるようにスウェーデン人もデカイ。

中央駅前に位置し、コペンハーゲン市民憩いの場、チボリ公園。今週末から、クリスマスマルクトが始まったのだが、ドイツのそれとは違うが、素晴らしい雰囲気を持ったクリスマスマルクト、公園内に多数レストランもあり、観光地として申し分ないアトラクション。恥ずかしながら、今日までその存在を知らなかったのだが、非常に良いです。


北欧の入口、コペンハーゲン迄はハンブルクから電車で行くことができる。そして、この電車、途中でフェリーに乗り込むことで有名。飛行機を使えば、1時間掛からない時間で行くことができるところ、チケットの価格も影響して電車でコペンハーゲンへ。


フェリーへの乗車時間は、約30分程。レストランやら免税店?やら、展望デッキやら皆、電車から降りて思い思いに限られた30分を楽しむ。思いの外、フェリーが揺れたので船酔いのリスクを避ける為、カールスバーグ片手に酒に酔う。電車だけでなく、車も乗り込んで来るのだが、かなりきちんとしたホスピタリティ-が船上には準備され、とことん楽しむという文化の違いを感じ取ることができた。


さて、コペンハーゲン。さすが、100万都市そして、首都。想像していたよりもの凄く、都会。そして、さすが、北欧、と言わんばかり其々のお店がその商品をも含めて、デザインに優れてオシャレ。


まるで、日本ですかと言わんばかりのセブン・イレブンの出店具合。間違い無く、佐賀よりも緻密な店の配置。しかしながら、法規制がその要素の多くを占めると思うが、セブン・イレブンが出店しているところとしていないところ、特にヨーロッパの中で何故にここまでコペンハーゲンに進出しているのかは気になるところ。


そして、今回のメインイベント、世界三大がっかりとして有名なコペンハーゲンの人魚姫像。結構な寒さと雨の中、ヨーロッパ三大?がっかり、ブレーメンの音楽隊を初めて訪れる時のような、分かっちゃいるけど止められない的な感覚で、地図上では海岸上に位置する人魚姫像を目指す。

のだが、それらしき場所には着いたのだが、辺りを歩けども歩けども姫らしきものは見当たらない。それから、北に南に海岸沿いを小1時間程、歩いたのだがそれでも見つからない。さすが、世界三大がっかりともなると、とてつもないレベルのがっかりで、探すのも困難な程、しょぼいんだなと自分らを納得させつつ、たどり着いたのがこの石。ちなみに、1番始めにこの場所に来て、ここで人魚の真似をして写真を撮っていた輩がいたのだが、そのときは見た限り銅像らしきものが無かったので、ちと疑問に思いながらも、素通り。

なんと!人魚姫は上海万博へご出張中とのこと。そう遠くないところを恐らくがっかりということを知りながらも、世界中から?訪れたその場に居合わせた我々を含めた観光客は、妙な一体感、そして通常では体験のできない、更なるがっかりを得ることのできた、良いのか悪いのか非常に思い出深いコペンハーゲンのファイナルであった。

ちなみに、ご出張の様子はこちらに詳しい。




2010年11月14日日曜日

カールスバーグ博物館


世界三大ビール博物館と勝手に称した、オランダはアムステルダムのハイネケン博物館、アイルランドはダブリンのギネス博物館、そしてファイナル、コペンハーゲンのカールスバーグ博物館へ。この三大博物館を制した、日本人はそういないのでは無いか思うのだが、その真相は如何に。


カールスバーグ博物館は、コペンハーゲン中央駅から2つ目の駅の近隣に位置し、莫大な土地を持つ工場と市庁舎よりも高い建物は建てられないと記載されていたのは嘘だったかのように、天井高く聳え立つ泣く子も黙る本社ビルと隣接する。あらゆるマーケティングの策を尽くし、世界中に同じ味のビールを拡販しているのであろう。


結論として全体的に、ギネスは別としてハイネケンと比較して、下位に甘んじている理由が分からないでも無い、ブランド構築という観点から見た際の博物館の至らなさは、特に具体的には語らないが、昔はビールを馬で運んでいたということのみを語る為に馬を飼っている、そのこだわりには脱帽。ちなみに、見た限り4頭もいらっしゃる。


ハイネケン、ギネスのそれと比較して目を引いたのが、この傘下に置くブランドのビール瓶を年代別に並べた秀逸の展示。酒の瓶を並べることは、酒好きにとって最高のインテリアで且つ、酒を好まないものにとっては単なるゴミにしか見えないのだろうが、この数と歴史を感じさせる誇りは素晴らしい。


さて、本題に入るが、その一角になんと、ハンブルクが誇る二大ブランド、HSVをスポンサードするHOLSTENとザンクトパウリをスポンサードするASTRAが並べて展示されていたのである。まさかのまさかであるが、買収という過程は経ていたとしても、HOLSTENとASTRAはなんとカールスバーグ傘下に置かれているとのこと。確かに、今シーズンより、HSVのホームスタジアムのピッチ看板にHOLSTENという長年のメインスポンサーを持ちながらも、カールスバーグの広告が登場した為に違和感を感じていたのだが。なるほど、そういうことかと。昨年のザンクトパウリ昇格記念パーティーの際に、HOLSTENのアドバルーンが舞っていたのだが、あれは嫌がらせでは無くむしろ、昇格を祝うものだったのだと。


カールスバーグは言うまでも無く、世界トップクラスの人気を誇る、リヴァプールのスポーンサー。其々のユニフォームから歴史と威厳が臭い立つ。その名に恥じず、頑張れよと、リヴァプール。


2010年11月7日日曜日

ドイツ・マイセン旅行記


有田町の姉妹都市ということで、佐賀人にとっては、ベルリンよりもハンブルクよりもミュンヘンよりも馴染みがあり、言うまでも無く陶磁器で有名なマイセンへ。ドイツで過ごす間に、必ず訪れたい場所の1つであったが、近隣の街を含めて、それなりのサッカーチームが無いことに起因し、今迄行くことが無かった。


大きな地図で見る


マイセンは、チェコとの国境近く、ベルリンの下に位置し、ハンブルクからベルリン、ドレスデンを経由して電車で約5時間。(ベルリンからだと3時間半、ドレスデンからは30分)先述の理由により、個人的にあまりこちらの街へは来たことが無いのだが、ベルリンは別格として、ライプチヒやドレスデン等、趣が有り特徴的な街を周りに持つのでプラハを含めて、日本から来るときの観光コースとしては結構良いのかもしれない。今回、ドレスデンは電車の乗り換えで利用するだけだったので、1434年以来の歴史を誇るドイツ最古のクリスマスマルクトを機に、来年辺り是非訪問したい。


さて、東洋からもたらされた白磁の製造にヨーロッパで初めて成功し、マイセン開釜から今年で丁度300周年。マイセン磁器工場では、それを記念しマイセン磁器のデザインに、様々な国や文化が与えた影響に関する展示が行われていた。中央駅から、市庁舎前の広場を経由し、徒歩で10分程度。



有田焼やら伊万里焼やら、小さい頃から陶器とは身近に接し、佐賀人としては当然ながら学校の授業で陶器の1つや2つ、造ったものだが、磁器ができるまでの1つ1つの工程を見学し、なるほどこのようにして造るんだと感心すると共に、佐賀人として地元が誇るものについてはきちんと知り、説明できなければいかんなと思う、今日この頃である。



街の中心部、お決まりの市庁舎近くにある、欧州初の白磁焼成功を報告する書簡などが飾られる、1523年に織物職人組合の集会所として建てられたワインレストラン。我々がランチで利用した際は、たまたま入れたが夜に通ってみると行列が。予約した方がベターみたい。ちなみに、私がこの有名なワインレストランで飲んだのは、お決まりのビール。



利用したホテルHotel Rossはマイセン中央駅の真ん前に構え、地球の歩き方にも掲載されている。無料の朝食付きで部屋もきれいでとてもリーズナブル。そして特筆すべきは、そのアットホームな御持て成し。マスターは、英語は喋らず共、それはまるで我が家に招き入れてくれるような。最近、外すことを避ける為、チェーンのホテルばかりを利用しつつあるが、やはりこのようなホテルもいいなと。ただ、このホテルは4つ星で、このような感じであったことは完全に想定外なのだが。マイセンのような小さい街への旅行には、このような楽しみがあるんだなと認識。



今回、マイセンを訪れるに辺り、ネットで色々と検索してみたのだが、日本語でマイセンについて書かれたいわゆる旅行記的なものは数える程。以降、マイセン訪問者のバイブルとなるべく、いつもとは違いレストランやホテルの話題なども絡めてみた。Googleでマイセン(マイルドセブンでは無い。)とやったときに、トップ付近に出てくるような記事を目指してみたのである。そういうことはどうでもよく、今回最も驚いたのがマイセン磁器そのものの値段。併設のアウトレットにも限らず、マジですか?というようなお値段のオンパレード。汗水流したナケナシの金で買ったお気に入りのマイセンを先祖代々受け継いで行かねば。



モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

モチベーションの話となると、科学の知識とビジネスの現場にはギャップがある。ビジネスにおける現在の基本ソフト(OS)は、外部から与えられるアメとムチ式の動機づけを中心に構築されている。これはうまくいかないし、有害な場合も多い。アップグレードが必要なんだ。科学者たちの研究成果がその方法を示している。この新しいアプローチには三つの重要な要素がある。一つは<自律性>-自分の人生を自ら導きたいという欲求のこと。二番目は<マスタリー(熟達)>-自分にとって意味のあることを上達させたいという衝動のこと。三番目は<目的>-自分よりも大きいこと、自分の利益を超えたことのために活動したい、という切なる思いのことだ。


◆カクテルパーティー向きのまとめとして、本書の概要で挙げられている文章をコピペしてみた。どうすべきかだけが問われ、何をすべきかは問われなかった時代を生きてきた我々より上の世代と我々とでは、小さい頃からPCに接してきたか否かという境もその大きな要因として根本的に目指していることが違うなと感じる今日この頃。個人的には、我々と次の世代にそのような大きな差は無いと思うのだが、その真相は我々が社会の中心となったときに分かるのであろう。若者は若者で我々のことを既にそのように見ているのかもしれないが。いずれにせよ、年齢には全く関係なく、実力がある人間のモチベーションを高め、皆で結果を出し続けていけるような組織にしていきたいものである。本人にとって不満とならない額を給与としてきちんと与えることを必要条件として、それ以外の部分で本人が働きやすい環境を造り続けていくこと。就業時間なんてマジいらない。












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2010年11月6日土曜日

コットブスvsボーフム(相馬、チョン・テセ出場試合)観戦記


この日のハイライトは、後半終了間際、先制されるも逆転し2vs1となり、相馬が与えた痛恨のPKをチョン・テセが外したこのシーン。チョン・テセがPK外すシーンを良く見るのは気のせいでしょうか?


さすらいのフットボーラー、相馬選手がポルトガルより移ってきたコットブスは、ベルリンからさらに東。ポーランドとの国境に近い所に位置する街。確か、2年前に2部へ降格した為、なかなか訪れる機会は無かったのだが、この日はチョン・テセボーフムとの注目の1戦ということで、前泊マイセンを経て遥々現地へ。


このスタジアム、何が凄いかと言うと中央駅からのアクセス。ビールを飲みながら、10分強で見事に到着。私の記憶が正しければ、バスや電車を使わずに中央駅から歩いて行くことができるスタジアムは、ブンデスリーガにて経験したことは無い。スタジアムのキャパは、2万ちょっとで、ブンデスリーガに属する地方のチームによくある、こじんまりとして非常に観戦しやすいスタジアムの1つ。この日は、1万ちょっとしか入っていなかったのだがそれを感じさせない盛り上がりを見せる点が素晴らしい。


さて、相馬選手であるが、浦和がACLを制した頃、バリバリのサイドバック(当時は、3バックだったので正式にはミッドフィルダーだと思うが。)として、代表をも伺う存在で、当時浦和の試合は毎週のように見ていた為、大好きな選手の1人。その後、浦和での地位を投げ捨て、ポルトガルに渡った訳で、プレーを目にしたのは3年振り。この日は、後半途中からの出場で、そこから逆転したのは良けれども、その後ぺナ内でのファールでPKを与えたのは頂けない。年代が近く、サッカー選手としては既にベテランの域に入り色々と難しいところもあるとは思うのだが、どうにか若年の体のキレを戻し、まずはスタメンに定着し、コットブスの1部昇格と共に代表が狙える表舞台に帰って来て欲しいものである。


そして、チョン・テセ選手。ドイツに住む身としては、開幕戦でゴールを決め、試合後のインタビューを果敢にもドイツ語でこなしていた点が素晴らし過ぎて、こいつはすげぇなと思うに十分であったのだが、この日は早めにスタジアムに着き、たまたま席がそちら側だったのでボーフムがアップをしている際に、手を振って頂きました。決して、ミーハーではありませんが、ありがとうございます。チョン・テセは他人が獲ったPKのボールを、1番先に持って離さず、蹴って外してしまう程のボーフムの中心選手だが、去年1部に属したチームも下位に低迷しており、昇格に向けてはここが正念場。ただ、彼の場合は個人としてある程度の結果を出しているだけに、冬の移籍市場で1部から声が掛かる可能性も。ドイツ語に取り組む姿勢からも、ブンデス・リーガでやっていく意思が見えるので、これからも応援してきたい。


コットブスもボーフムも、日本食も無い、しがないドイツの片田舎。日本では有名な彼等も、故郷を離れ孤独な点は我々しがない一介のサラリーマンと全く同じ。というかむしろ、ハンブルクに住んでいる点からも見ても確実に我々の方が恵まれている。相馬選手も、チョン・テセ選手もサッカー選手として、そして人間として目指すものがあるから、このような僻地でボールを蹴り続けていると思うのだが、そのような彼等の背中を見て自分も頑張らないとな。と純粋に思えたその内容と併せて、非常に素晴らしい試合であった。やはり、日本人対決はいいね。(失礼しました。チョン・テセ選手は日本人ではありませんね。ご指摘頂き、後日訂正。)