VISAの証明写真に関して、日本人として日本に過ごしていた時には考えられないようなミスコミュニケーションが発生すると共に、事後処理の際、責が自分にあると血も涙もなく容赦無く罵倒される。いわゆる「欧米人」と折衝する際に、気をつけろと教科書的に言われるような事象の典型的な事例を身を持って体験する。ただ、どうやら日本人と違ってそういった「こと」があったときの後腐れは無いようだ。要は、あたりまえであるが日本人とは全く違うなと(笑) 夜、カレー
2008年1月31日木曜日
ビール安っ
Deutsche Bank (いわゆる、あのドイチェバンク)で銀行口座とクレジットカードを丁重なもてなしの元、作る。当面の生活用品を買いに近くのスーパーへ。ドイツでナンバー1のシェアを誇るというビール、WARSTEINER が330ml×12本で6.79EUR。しかも、後でビンを返すとその分ペイバックがあるという。まだ、金銭感覚が掴めていないが、とりあえずビールは日本と比べて鬼のように安い。(定義がよく分からないが、←宿題 エビスやプレミアムモルツに相当するものらしい。)
時差がまだ抜けず、夕方(日本時間の夜)になると猛烈な睡魔が襲ってくる。特に、専門用語が入った英語を聞いているときは史上最強に眠い・・・
2008年1月29日火曜日
Guten Morgen!
無事、ハンブルクに到着し、翌日(28日)初出社。英語での挨拶を滞りなくこなし、とりあえず安堵するものの、コミュニケーションの基本である、顔と名前を一致させることが日本人と違って非常に難しい。ドイツ人にとってもそうなのであろうが・・・ 朝は、Guten Morgen! 昼は、普通にハローでOK。誰かとすれ違う時は必ず挨拶をする。ドアは後ろの人に気を使って最後まで手を離さないというのは日本で教えられた1つのマナーだが会社の中だけでも本当に徹底していた。
ドイツの会社は、日本の机1個と比較にならない程、社員ひとりひとりに与えられたスペースが広い。聞くところによると、法律で決められているらしい。←宿題 ドイツ人は、定時を過ぎると噂通りホントに居なくなった(笑)
唯一、不安となったのが、いわゆる「左ハンドル右側通行」。夕食にパスタとビールを食し、時差で完全にクタバッテ寝る。
2008年1月28日月曜日
渡独
2008年1月27日(日)、全日空0209便フランクフルト行きにて、小野に1日先駆けて渡独。
年末年始を挟み、怒涛の壮行会と今の仕事、引き継ぎ、予習、引っ越しとトンデモナク忙しい(本来は、「忙しい」という言葉は使わないようにしているのだが。)1ヶ月を終えた安堵感とわずかな期待感を抱きながら人生初のビジネスクラスで(笑)日本を飛び立つ。不安感を感じる暇も無く。
2008年1月27日日曜日
1.27 日本vsチリ
キリンチャレンジカップ2008 日本vsチリ
出発前夜、国立で国歌を唄うべく岡田ジャパン初戦へ。久しぶりの代表戦であったが、千駄ヶ谷のその気候と調和したかのような非常にお寒い内容。100歩譲って、オフ明けだからしょうがないとしても、来週タイ戦だからな。マジで。ということで、最後の国歌は平原綾香。さすが、Jupiter。普通に上手く、非常に合わせて歌いやすかった。これで心置きなく、ドイツへ旅立てます。

2008年1月26日土曜日
壮行会7
プライベートな壮行会もついにラスト。大学のゼミ、先輩、同期が集まってくれた@馬場。当時から、ゼミよりも飲み会がメインのようなものだったので、勢いそのままビールを飲み倒す。何一つ気兼ねすること無く、昔のままの感じで飲めるこの集まりがもの凄く貴重なものに感じた。最後に相応しい壮行会。自分がドイツに行った直後、ご結婚される先輩、おめでとうございます。ありがとうございました。
今まで、壮行会という名前では無かったが集まってくれた佐賀の友人や会社の人を含めて数多くの人に感謝。
会うべき人にもほぼ会い、(と言ってもまだまだいるのだが・・・)これで心置きなく旅立てます。
改めてありがとうございまいした。
2008年1月17日木曜日
壮行会6
大学4年時のサークルの同志。と言っても、自分は何もやってないんで、実際は任期が終わってから卒業旅行やら飲み会やらで親交を深めた仲間。先日は、大隈講堂、今回は東京駅で胴上げをしてもらった。彼らは、自分の同期にあたるのだが、有りがちな外資金融やらコンサルやらに勤めている人間は皆無で、自分と同じくバリバリの日本企業がほとんどである。(ただ、自分と違って「エスタブリッシュメント」側が多いのだが・・・)
場所は違えども、本当の意味で日本を引っ張っていけたらいいな。と思う今日この頃である。
ありがとうございました。

2008年1月14日月曜日
壮行会5
この壮行会をやってもらう為だけにドイツに行ったとしてもいいぐらい。大学時代のサークルの先輩、同期、後輩が総勢三十余名早稲田に集まり、店を貸し切って行われた壮行会。「酒は飲め!」と教え、教えられ、何か節目のときには必ず一升瓶やら何やらを飲み干すと今考えてみるとよく分からない儀式があった為、ここぞとばかりに大量の酒が送別代りに持ち込まれ、もう一生無いであろうというぐらい飲む。
くたばる。
ありがとうございました。
みなさんもそれぞれの夢を追いかけてください。

初場所初日
人生初めての大相撲@国技館。朝青龍の復帰ということで、国民大注目の初場所初日@満員御礼に行ってきた。観戦の参考までに言っておくと、桝席は大の大人が4人で行くと狭い・・・
さて、両国の盛り上がり、幕ノ内土俵入りの最後にみんなで手を挙げる様、力士のまわしや行司の服の鮮やかさ、たんたんと進んで行く取り組み、ひとつひとつの相撲そのもの、懸賞が懸かる盛り上がり等、今までなぜ見に来なかったのかと後悔させるようなテレビとの圧倒的な違いが非常に印象的だった。
巷では悉く批判され倒している、朝青龍(あさしょうりゅうで一発変換された・・・)。個人的には、松坂世代の同じ年ということもあって大好きなのであるが、土俵入りから自分の取り組みが終わるまでの全ての動きに宿る「風格」(いわゆる、「横綱」的な「風格」では無い。)は到底、一般人が批判できるような類のものでは無かった。何とも表現しづらいが、単純に言うとめちゃめちゃかっこいい(笑)
魁皇のいわゆる、「おすもうさん」的な外見とその相撲は言うまでも無く、三役クラスになると白鵬も当然だが、ひとりひとりが違ったオーラを出し、格が違うなと思わせてくれるに十分な存在感であった。また、高見盛も期待通りの一線を画したバリューを発揮してくれた。みんな、スゴイの一言に尽きる。数多くの力士の中で、この差がどこから来るのかがとても気になる。
相撲は1度生で見ておいた方がいい。なるべく早く、感受性の強いうちに、朝青龍がいるうちに・・・
得るものはデカイと思う。
2008年1月13日日曜日
2008年1月11日金曜日
壮行会3
会社の同期、後輩、共通の友人(先輩?)による壮行会。例によって例の如く、グダグダになってしまいましたが、それを許してくれる器の広さに感謝。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
2008年1月3日木曜日
早稲田往路V
母校が箱根をトップで走る姿がこんなにも気持ちいいものかと!
リンク: 東京新聞:早稲田 往路V 駒野5人抜き うちにも『山の神』:スポーツ(TOKYO Web).
新春恒例の第84回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)第1日は2日、東京・大手町から神奈川県箱根町までの往路5区間、108・0キロで関東の19校と関東学連選抜の計20チームが争い、早大が5時間33分8秒で12年ぶり13度目の往路優勝を果たした。
昨秋の全日本大学駅伝優勝の駒大が1分14秒差の2位。3位はトップに1分59秒差で山梨学院大が入った。優勝候補の一角、東海大は早大に4分56秒差で8位。前回、完全優勝した順大は山上りの5区(23・4キロ)で小野裕幸が途中棄権した。
早大は3区(21・5キロ)で故障を抱えるエース竹沢健介が12位から5位まで引き上げ、5区で主将の駒野亮太が区間賞の走りで6位から5人を抜き、首位を奪った。
3日の最終日は5区間、109・9キロの復路を実施する。順大の復路はオープン参加扱いで区間成績は認められない。
4区終了時点で、首位と1分27秒差の6位。それでも早大の渡辺監督はためらいなく「往路優勝を狙っていこう」と伴走車から声をかけた。5区の駒野は腹を決め、「きつくても前へ前へ行こう」と猛追を始めた。
緩やかな上りの最初の5キロは15分13秒。好スタートでまず3校をかわした。駒大に並んだのは8キロすぎ。並走して11キロ手前で首位の山梨学院大を抜いた。12キロ付近で駒大も振り切った後は一人旅。顔をしかめながら、芦ノ湖まで駆け抜けた。
5区は3回目。昨年は“山の神”と称された順大の今井正人(現トヨタ九州)を後ろから眺め、「絶対的なスタミナが必要」と痛感した。今季は夏に1カ月1100キロほどを走り込んだ。持久力で自信を深めたことが、区間賞となって表れた。
世界選手権一万メートル12位のエース竹沢が直前に故障したのも、早大にとってけがの功名となった。1区の尾崎や4区の中島らが「自分が頑張らないと」と奮起。格上の選手に食らいついて上位を守り、5区の逆転につなげた。3区にまわった竹沢も7人抜きの区間賞。自分の結果には控えめに喜び、「うちにも“山の神”がいて良かった」とおどけて駒野に感謝した。
大学創立125周年の年に、往路優勝で近年の低迷から脱した。当然、「総合優勝も」と期待は高まる。しかし、復路の戦力は駒大や東海大に劣るのも確か。渡辺監督は身の丈をわきまえ、大きなことは言わない。ただ「逃げているチームに強みはある」とほくそ笑む。エンジ色のユニホームが勢いに乗って復路も躍動すれば「往路優勝・総合3位」という目標も難しくはない。 (平松功嗣)
2008年1月2日水曜日
2008年
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
とりあえず、
海外組の一員として、ドイツのクラブチームに入る
ブログを毎日更新することを含めて、「グーグル」に公開する
日常会話レベルのドイツ語をマスターする
が目標です。
2008年1月1日火曜日
2007年
完全に年を越した後のバックデートであるが、2007年を流行語大賞形式で振り返る。
☆1位☆ 「ACL」
街にクラブが根付くとはこういうものかと、ここまでも素晴らしいものかと、体感させられた浦和のACL制覇。自他共に認めるサッカーマニアの自分としても、純粋に何かを成し遂げる「一体感」を味わえたと共に、埼玉スタジアムの雰囲気とそこで出会った数多くのサポーター(というか、お互いに完全に酔っ払っているのだが・・・)からたくさんのアイデアを得ることができた。
☆2位☆ 「サブプライム」
「経済」とは「経世済民」であるとはよく言ったものだが、(というか、自分の座右の銘に近いのだが・・・)まぁ、その定義とは完全にかけ離れた「ゼロサム」どころでは無い、全負け状態。日本においても、黙って郵貯に貯金していた方がよかったという「やったもん負け」の世界。世界中の金融屋さんよ、もっと頑張れと。
☆3位☆ 「結婚」
来年からどうなるのか知る好もないが、今年は、たくさんの友人や先輩が結婚した。(というか、というか・・・)いろんな結婚式や2次会にも参加した。自分なりに考えるところが多々あった。改めておめでとうございました!
総じて振り返って見ると、大学を卒業して働き出して数年が経ち、いろいろな意味で余裕が出てきたことと、不意に時間的な余裕ができた1年であった為に、将来を見据えて進んでいる道はこれでいいのかという問いを繰り返す日々であった。その中で偶然にも運良く、2008年から自分が成長できる大きなチャンスを得ることができた。これまで、ひたすら前を前をと進んできた訳であるが、来年はもう1歩新たなチャレンジ、さらにたくさんの「経験値」を得て行きたいと思ふ。
