2012年4月30日月曜日
【2011/2012シーズン】HSVvsマインツ観戦記
ブンデスリーガ創立以来初の2部降格という尋常で無いプレッシャーとの戦いとなってしまった、今シーズンのHSV。この節を前に崖っぷちに立たされたケルンの不甲斐無さにより、最終戦を残しホーム最終戦でチーム創設以来続く1部残留が無事に確定した。実現すると、洒落にならないので、巷で噂されていたザンクト・パウリとの入れ替え戦という言葉は、ツイッターでもブログでも書くことは無かったが、誠に内心冷や冷やものであった。
今シーズンのホームゲームは3勝7分7敗で、1試合を残した暫定ではあるが、ホームゲームのみの順位では、スラウテルン、ヘルタに続き下から3番目とケルンを下回る不甲斐無い成績。シーズンチケット2シーズン目、己のパフォーマンスを振り返る意味で、全17試合を時系列で羅列してみる。(◎は、参戦試合)
2.HSVvsベルリン 2vs2
◎4.HSVvsケルン 3vs4
◎6.HSVvsグラッパ 0vs1
8.HSVvsシャルケ 1vs2
10.HSVvsヴォルフスブルク 1vs1
◎11.HSVvsスラウテルン 1vs1
◎13.HSVvsホッフェンハイム 2vs0
◎15.HSVvsニュルンベルク 2vs0
◎17.HSVvsアウグスブルク 1vs1
◎18.HSVvsドルトムント 1vs5
◎20.HSVvsバイエルン 1vs1
◎22.HSVvsブレーメン 1vs3
◎24.HSVvsシュツッツガルト 0vs4
◎26.HSVvsフライブルク 1vs3
29.HSVvsレヴァークーゼン 1vs1
31.HSVvsハノーヴァー 1vs0
◎33.HSVvsマインツ 0vs0
ということで参戦した12試合、2勝4分6敗(勝点10)。行かなかった試合は5試合、1勝3分1敗(勝点6)。去年も、行かなかった方が勝率が良かった覚えがあるので、チームにも増して己の成績の不甲斐無さが際立つところであるがそれはさておき、思い出深い試合は、Finkが新監督として就任した頃のホッフェンハイム、ニュルンベルクの2連勝。振り返ってみると、結局この2試合しか勝利を見届けていないという事実に涙せずには居られないが、槙野を見て、細貝見て、香川見て、宇佐美見て、岡崎見て、酒井見て、少なからず日々の生活へのエネルギーとなったことは間違い無い。
2008年より在籍、エースナンバー10番を背負い、昨年アウェイでのハンブルクダービーでの同点ゴール等、ここぞという場面でゴールを決める印象の強い、ムラデン・ペトリッチそして、2003年より在籍し、先日ブンデスリーガ出場250試合を達成、記者が選ぶファウルを貰うのが1番上手い選手でトップに輝き、いぶし銀のプレーでゲームを落ち着かせる不動のボランチ、ダヴィド・ヤロリム。今シーズンでチームを去る、レジェンド2人の最後のホームゲームとなったこの試合、ゲーム内容は非常にお寒い内容となったが、前述のように、敵手ケルンの敗戦濃厚が適宜スタジアムに伝えられ、ゲーム終盤以降はペトリッチとヤロリムのサヨナラゲームの様を呈し、万感の拍手の中でピッチを去る、降格が掛かった試合とは思えない演出でHSVに思いを寄せるサポータにとってグッとくるゲームとなった。そういう粋な計らいができる、Finkは本当に素晴らしい監督だと思う。来シーズンは、今シーズンのグラッパ如く、ヨーロッパリーグとは言わず是非ともチャンピオンズリーグ出場圏内を目指して爆進して欲しいものである。
HSV、今シーズンもありがとう。
そして、ペトリッチとヤロリム、今までありがとうございました。
2012年4月24日火曜日
2012年4月ワークアウトカレンダー(体重と体脂肪率の推移)
4.29ハンブルクマラソンでサブ4達成に向けて、設定した月間走行距離250kmのアクションプラン。1月の134.5km、2月の200.1km、3月は235.8kmに続き、大会4日前の段階で4月の走行距離は114.5km。大会1ヵ月前は、走行距離が何kmという次元の話では無いが、昨年の大会1ヵ月前に当たる2011年5月の記録(下のカレンダー)を見てみると、大会5日前で81kmしか走っておらず、そのままレースを迎えており且つ、4月は60km、3月においてはたった12.5kmしか走っておらず、マラソンそしてサブ4を完全に舐めきっていたとしか言い様が無い。
マラソンに関わる全ての皆様ごめんなさい。
さて、大会に向けての練習総括はレース後、その結果と共に書きたいと思うが、今回は次のグラフ(からだ管理)をご覧頂きたい。赤が体重、緑が体脂肪率を表すが、横軸の中ほど、2012年正月明け、本格的にトレーニングを開始した時点で体重は66kg、体脂肪率は18%程度だったのが、トレーニングを積むに連れて見事に減少し、直近のベストで体重59.4kg、体脂脂肪率10.4%を記録した。これは昨年の目標である体重65kg、体脂肪率15%を雄に超え、自分では結構気に入っていたドイツ赴任時のコンディションを突破し、大学入学以降おそらく人生で1番の体つきである。
ご参考までに、減少のポイントは順不同で次の3点。
1.兎に角、走る。(体脂肪の燃焼には、ゆっくり長くが効果的。)
2.走る前のVAAMと走った後のプロテイン。(特に、VAAM的なものはドイツで見つけれていないので、年末一時帰国時に大量持参。)
3.夜は炭水化物を獲らず、平日は酒を飲まない。(今でも、酒は直接は体重に関係無いと思っているが。今までほぼ毎日飲んでいたので、健康の面でも人生のこのフェーズにおいて大きな改善。)
体脂肪率ひと桁(目指せカズさん)という個人的に大きな夢があるので、レース後はそれを目標に体重と共に今のレベルを未来永劫維持していきたいと、今感じている。
カレンダー、グラフは何れもJogNoteより。
2012年4月23日月曜日
大前研一通信2012年4月号
製造業派遣禁止の撤回は愚の骨頂![1]と大前さんは、今さら製造業派遣禁止を撤回しても手遅れで、これは「時すでに遅し」であるとしている。残念ながら、このこと事態全くキャッチアップできてなかったので、ちょっとググってみたのだが、何がいつどう変わって、そもそもオリジナルが何だったのかサクッと分からず止めてしまった。派遣村がどうこうとあれだけ騒いだのに2年後に撤回って、そこに何の意味があるのかと。派遣禁止の撤回を更に撤回しようとされている方も居られるようで。それは、撤回しないよりはする方が良いのかも知れないけれども。ほんと、スピード感の欠片も無いわ。ということで、大前さんは新たな進出先として最近また政治的に色々と動きがある、ミャンマーを推されている。[2]
要チェックや。(ヒコイチ風)
1.http://www.news-postseven.com/archives/20111218_75461.html
2.http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120220/299698/?ST=rebuild
2012年4月22日日曜日
争うは本意ならねど
争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール
木村 元彦 
第165条〔最終的拘束力〕
チェアマンの下す決定はJリーグにおいて最終のものであり、当事者およびJリーグに所属するすべての団体および個人はこれに拘束され、チェアマンの決定を不服として裁判所その他の第三者に訴えることはできない。
Jリーグ規約[1]の末尾近く、第12章に最終的拘束力として定められているいわゆる独裁規約の一文。恥ずかしながら、今までその存在を知らなかった。Jリーグ発足当初の不条理な外圧を跳ね返すためのものであったらしいが、それにしても凄まじい条文だなと。
「オシムの言葉」「誇り」「悪者見参」などの著書で知られる木村元彦さんが、FC琉球、我那覇選手のドーピング冤罪事件について取り扱った1冊。事件の発端が、当日非番の記者の代理の記者が出稿した、事実と異なる記事であることに愕然とした。浦和がACLを獲った1997年当時、自分もマスコミの報道を通してしか情報を入れることができておらず、こんなことがあったのか!と正しく驚愕ざるを得ない内容だったが、マスコミの報道云々はひとまず置いておき、報道が必ずしも正しい訳では無いという共通理解が日本には本当に必要だなというのが率直な1番の感想。当時のJリーグ上層部や川崎に組織の非常に嫌な部分が露呈する。そのような、理不尽としか言い様が無い状況下、当事者である我那覇選手は勿論、Jリーグのチームドクターやサポーターの1人1人が取られた行動やその姿には感服せざるを得ない。そして、著者である木村さんの姿勢は流石。
◎ご参考
【特別対談前編】完全なる冤罪、我那覇和樹のドーピング事件とは何だったのか?[2]
【特別対談後編】潔白だった我那覇、病状口外を望まなかったオシム-総括と反省なきJリーグ[3]
1.http://www.j-league.or.jp/aboutj/2011pdf/04.pdf
2.http://footballweekly.jp/archives/1784509.html
3.http://footballweekly.jp/archives/1788048.html
2012年4月16日月曜日
【2011/2012シーズン】ルールダービー(シャルケvsドルトムント)内田、香川出場試合観戦記
ブンデスリーガ制覇の旅、1部18チーム中16番目の訪問は2009/2010シーズンにドルトムントホームで観戦して以来、常に狙ってはいたものの、なかなか土曜15時30分開催が無くこのタイミングまで行くことができなかったブンデスリーガ屈指の名門、シャルケのホームスタジアム、ヴェルティンス・アレナでのルールダービー。残念ながら、前節ドルトムントがバイエルンに勝ち、シャルケがニュルンベルクに屈してしまった為、優勝を掛けた大一番とはならなかったが、例え順位がどうであろうと、絶対に負けられない戦い、欧州屈指のダービーマッチはシャルケのホーム、人口25万人程度のゲルゼンキルヒェンの町に鬼の様に警察が配備され、例によって日頃のブンデスリーガとはちょっと違う、ピリッとした雰囲気の漂う試合となった。
このヴェルティンス・アレナは、スタジアムに名を冠するメインスポンサーである、この地方のビール会社ヴェルティンスが保有するビールタンクがスタジアムの地下にあり、そこからのビール用パイプラインがスタジアム全体に張り巡らされていることで有名。
いやー、その事実だけで、それを考え付いた輩に敬意を表するだけで、ビール何杯でもイケるが、この日飲んだビールは(スタジアムに入るまで、飲まなかったということもそれに多大なる貢献を果たしていると思うが)ドイツのビールにあまり無い感じのとっても冷えたビールで、マジで特筆すべき美味しさであった。
ヴェルティンスにヴェルティンスで乾杯!
ヴェルティンス・アレナのキャパは約6万1千人。その形は、我らがHSVのImtecアレナ(キャパ57,000人)に非常によく似ているなと感じたが、強力なのはピッチを全体から覆うシャルケサポーターの重圧感。前身、陸上競技型のパーク・スタディオン時代にそのトラック上、コーナー付近にて大太鼓をたたいて応援するサポーターの姿が有名だったというが、今もその姿を受け継ぎ、太鼓台的な場所が設けられサポーターのチャントと合わせて太鼓を叩く太鼓隊がチアリーダー的な輩と共にそこに居を構えるのが非常に物珍しい。そして特筆すべきが、ブーイングの強烈さ。この日がルールダービーだったからというのもあるだろうが、(もし、そうであれば是非バイエルン戦のノイアーに対するそれを聞いてみたいものだが)ドルトムントの選手がボールを持った瞬間からピーという単純一辺倒だが音量及び迫力満点の指笛によるブーイングがスタジアム全体を覆う。それを含めて、このスタジアムではアウェイの選手は相当やりにくいだろうなと。
ポルトが優勝した2003/2004シーズンのチャンピオンズリーグ決勝を開催した、数あるUEFAエリートスタジアムの1つである、ヴェルティンス・アレナ。試合の雰囲気含めて、秀逸。訪れるべきスタジアムの1つ。
2年前ドルトムントで見たときには、将来こうなるとは思いもしなかったが、ドルトムント1位、シャルケ3位というチーム状態での対戦そして、両チームのスタメンに内田、香川という日本人選手が名を連ねさらに、スペインの至宝ラウル・ゴンサレスがシャルケのトップ1角を占める。ルールダービーの価値上がり過ぎでしょと。2年前は、シャルケがマガトの下で長年の沈黙から勃興しつつあったが、ドルトムントは相変わらず中位に甘んじ、試合前に目の前で逮捕者が出て、物音がしたと思ったら数秒で犯人を仕留めたドイツの警察すげーとか、スタジアムの中で立ち小便したり、あらゆる所でサポーター同士が喧嘩してたりとか試合内容よりもそっちの方が印象的だったが、この日は違う。ゲーム内容含めて、さすがルールダービー、ドイツサッカーここにありと。この日のパフォーマンスそのものはイマイチだったが、そんな由緒ある舞台の中で躍動する内田と香川の姿に心から凄いなと感嘆した。ふたりともマジ凄すぎ。
帰りのゲルゼンキルヒェン中央駅。ドルトムント方面の電車が出るホームへ上る階段を中心として、シャルケサポーターが両サイドからドルトムントを揶揄するチャントの大熱唱。目の前にズラッと並ぶ警察が何らかのきっかけで何かスプレーのようなものを捲き、横で傍観していた自分も少しおこぼれを頂いたが、線路を挟んでホーム同士で何かを言い合っている喧嘩の体(てい)を擁するサポーターも見受けられ、何故彼らがそこまで熱くなれるのか理解し難い正直滑稽な、期待していたダービー特有の光景を今回も味合うことが出来、試合そのものと合わせて来て良かったなぁと十二分に満足して、この日お隣の強豪ハノーヴァーから久しぶりにホームで勝点3を得たハンブルクに戻り着いた。
2012年4月10日火曜日
ザグレブ(クロアチア)旅行記
ヨーロッパの全ての国に行く、欧州制覇の旅を続けているが、訪れる国の首都には必ず行くようにしているので、ドブロヴニクに3泊4日の旅でもそれはそれは良い旅となったであろうが、クロアチアの首都ザグレブはどうしても訪れておきたい理由があるので、イースター真っ只中で驚くほど街は閑散としていたが、ドブロヴニクから空路ザグレブへ。
何とポップな、聖マルコ教会。向かって左はクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォニ地方を表す紋章、右側はハンブルクのそれになかなか酷似したザグレブ市の紋章。群青色と赤茶色のタイルを使い、1880年に改築工事を行ったとき、新たにデザインされたという。今まで、数多くの教会を見てきたつもりだが、このような体(てい)はなかなかお目にかかることができない。
ちゅうことで、旅の目的はディナモ・ザグレブのホームスタジアム、ザグレブの東マクシミール地区に居を構えるマクシミールスタジアム。残念ながら、イースター週は土曜アウェイ開催で試合を見ることはできなかったが、フランスワールドカップの代表から外れ、ヴェルディから0円提示を受け世間から見れば終わったと思われた三浦知良が新天地として選んだのがクロアチア・ザグレブ(当時)。まさにこのスタジアムで行われたホーム開幕ムラドースト戦、チームは勝利するもカズはPKを外す。得点命のヨーロッパサッカーにおいて、このPK失敗がクロアチアでのその後を大きく左右したと個人的には勝手に思っているのだが、当時高3で大東京で連日受験に臨んでいたときにそのニュースを耳にしたこともあり、個人的には思い入れの深いマクシミールスタジアムを外から眺める。
三浦知良ファンとして勝手にかつて在籍したチームのホームスタジアムを訪れ、勝手に物思いに耽るという悪趣味の1つをここザグレブで久しぶりにおこなうことができたのだが、(ブラジルのサントス訪問の様子は、こちら)今でもこれなので当時は、相当何も無かったと思われるこの町でカズさんもサッカー以外では相当暇だっただろうなぁと勝手に感じた、ザグレブ1泊2日有意義な旅であった。
2012年4月9日月曜日
ドブロヴニク(クロアチア)旅行記
2012年4月のイースター休暇は、アドリア海の真珠と称され、ヨーロッパの人がバカンスを過ごす場所の1つとして有名な、ドブロヴニクへ。サマータイムに入り、最高のシーズン到来を今か今かと待ち望んでいるヨーロッパであるが、今年は4月半ばとなった今でも、未だ寒く天気もイマイチで、透き通った海で泳ぐには少し早かったようだが、旧市街の絶景とたくさんの美味しい魚貝を中心に十二分に満足できる2泊3日の旅行であった。
朝起きて、美しい景色を見ながら朝食をシャンパンと共に。部屋に戻って2度寝からの、街に出てのビール。小魚のフライ、イカやタコをつまみながら。部屋に戻って昼寝からの、ディナー。地元産のワインを傾けながら。そして、そのまま爆睡からの、翌日朝起きてシャンパン、、。
というのが、贅沢極まりない旅だと勝手に思っているのだが、そんな旅をするのに恐らく、ドブロヴニクは最高の場所。見どころは全長1940mの城壁で囲まれている旧市街に限られていると言っても過言では無く、旧市街からは少し離れているがビーチにホテルが立ち並ぶリゾート的な場所もあり、そこでゆっくりと時間を過ごすのも至福であろう。というか、1ヵ所に滞在して過ごすこのスタイルこそヨーロッパの典型的なバカンスのスタイルであり、だからこそドブロヴニクが最近キテイルのであろうと文章を書きながら1人で勝手に納得。
ちなみに、そのようなヨーロッパのおじさんおばさんと同じような休暇の過ごし方をするのは、年を取ってからで良く、未だ若い(つもり)うちは、限られた時間をできるだけ将来への自分の糧となるような刺激を受けることができるよう、たくさんの場所を訪れる為に使いたいと思っており、実践しているつもり。
(猫さん曰く、何を仰っているのですかと。)
ドブロヴニクの街を歩いていて思ったのが、青空市場に見られるように地元の人が生活の場とする姿と、ヨーロッパ有数の観光地としての姿が絶妙に絡み合っていて面白いなと。街の本屋にあった写真集で見ることができたのだが、まさにこのドブロヴニクの旧市街が戦争により砲撃を受けたのが、たった十余年前の1991年。そして、1667年には大地震により大きな被害を出しているとのことだが、そのような爪痕を感じさせることの無い今の姿が、このドブロヴニクの大きな魅力では無いだろうか。
2012年4月4日水曜日
2012年3月ワークアウトカレンダー
4.29ハンブルクマラソンでサブ4達成に向けて、設定した月間走行距離250kmのアクションプラン。1月の134.5km、2月の200.1kmに続き、3月は235.8km。
「金哲彦の忙しい大人のためのランニング講座」[1]にて金コーチより直接アドバイスして貰った、10キロ走とフルマラソン時のフォームが違っていないか確認、3時間のLSDトレーニングの導入(ペースは1キロ7分)、を重視。3.11RUN TOGETHER[2]で30kmまでを2時間53分で走るも、その後を歩いてしまい、サブ4道険しorzという感じであったが、2週間後には見事に39kmを4時間で走り、どうやらマラソンを走る脚力は付いたものと思われる。ここまでの3ヵ月なかなか大変であったが残り1ヵ月、トレーニングではスピードを意識し、酒を絶ち更に体重を落としつつ本番までのコンディションを整えていきたいと思う。
1.http://number.bunshun.jp/list/vianumber/tetsuhiko-kin
2.http://runtogether.jp/index.html
JogNoteより作成
2012年4月3日火曜日
2012年3月を振り返る
2012年の目標(期限:4月末迄)
1.4.29ハンブルクマラソンでサブ4達成。
昨年の大会で、初マラソン完走を果たしたもののタイムは正直イマイチ。月間走行距離250kmをアクションプランとし、何とかサブ4を達成したい。
⇒◎ 月間走行距離235.8km。目標の250kmにはわずかに届かなかったものの、フルを走り切る脚を作る為の良い練習ができたのでは無いかと思う。本番まで残り1ヵ月、ここまでの努力を無駄にすることの無い様、しっかりとした調整に励みたい。
2.日常会話レベルのドイツ語を習得する。
今年こそは本気出す。語学は短期集中。1日3時間(通勤1時間含む)をドイツ語に費やし、単語集1冊と文法書1冊、ラジオ講座半年分、Themen1を終え、簡単な会話をできるようにする。
⇒× 言い訳でしか無いが、今月は週末に予定が結構入り、時間があるときは走ることに集中していた為、取り組めず。ただ、通勤中のラジオ講座だけは継続できているので、良しとしようでは無いか。
3.Financial TimesとEconomistを読む。
英語だけで無く、何かと注目されるであろう今年のヨーロッパに住んでいるものとして、キャッチアップし且つブログ等を通して発信していきたい。Financial Timesは、1面とAnalysisを毎日、出社前に必ず、EconomistはカバーストーリーとEditor's Highlightsを時間を見つけて必ず読む。
⇒× 1月2月と比較してFinancial Timesをあまり読むことができなかったが、Economistの記事を幾つか読むことができた。改めてFinancial Timesを毎日読み、Economistもできるだけ読み且つ繰り返し音読したい。
4月は、ドイツ語、英語は二の次に兎に角、サブ4達成である。自分に更にプレッシャーを掛ける為にも、乞うご期待!
【2011/2012シーズン】レバークーゼンvsフライブルク観戦記
ブンデスリーガ制覇の旅、1部18チーム中15番目の訪問は2001/02シーズン、ブンデスリーガをドルトムントに、ドイツカップをシャルケに、チャンピオンズリーグをレアル・マドリッドに何れもファイナルで屈し、見事に昨シーズンも2位で「万年2位」の名を欲しいままとするレバークーゼンのホームスタジアム、バイ・アレナへ。泣く子も黙る製薬会社バイエルをスポンサーとし、SAPをバックにつけるホッフェンハイムと並び、企業色が表に出た無味無臭のチームとして有名である。
チャンピオンズリーグに度々登場するので、日本でもその名を知られている部類に入るであろうバイ・アレナのキャパは約3万人強。2008/09シーズンに行われた改装前のキャパは22,500人だったらしいが、これだけの強豪なのに基本的にあまり人気が無いんだなぁと物思いに耽っていたときに気付いたのが、スタンド最前列のビール置き場(仮称)。ここに、ビールをこれでもかと並べて試合が経過するに連れて、次々と飲み干していったドイツ人サポーターがskyに抜かれていたことがあったのだが、あれはバイ・アレナだったのかと。事前に知っていれば、最前列を確保したのに残念。(この日は2列目)
ということで、この日も偶々フライブルク戦となり、バーデン=ヴュルテンベルク州在住のフライブルクファン@morgenbadenさんと例によってホームとアウェイに分かれて観戦させて頂いたが、この日もまさかのフライブルク2vs0快勝。個人的には、試合内容からしてもフライブルクはこの日の勝利で残留濃厚と思うが、レバークーゼンはこの日の敗戦で前フライブルク指揮官の監督ドゥットを解任。結果的に、両チームにとって非常に重要な試合となった。そう言えば、サポーターが後ろ向いて応援したり、無駄にウェーブが起こったり、そこら辺のおじさんが監督に向かってティッシュをヒラヒラさせていたりとその予兆はあったにしろ、毎試合必死の思いで残留争いを繰り広げている我々からすると、ぬる過ぎて腹が立つことこの上無い試合、雰囲気だったなぁ。
レバークーゼンは言うまでも無く、あくまでもチャンピオンズリーグに出場すべきチームで、ヨーロッパリーグでは物足りないチーム。既に終盤に差し掛かった今シーズンは、チャンピオンズリーグ圏内は無理で、適当にやってればヨーロッパリーグは行けるでしょ、降格も無いし的な位置なので、残留に向けて必死に戦っているフライブルクとのモチベーションの差は明らか。チャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦、ホームでバルセロナに7vs1で粉砕される前はアウグスブルク、ケルンそしてバイエルンとリーグ戦3連勝を飾っているのだが、バルセロナ戦後は緊張の糸が切れたようにヴォルフスブルク、グラッパ、シャルケ、フライブルクに4連敗。これは、明らかにモチベーションの違いによるものだと思うが、ヨーロッパを戦うことはリーグ戦にこのような形で副作用をもたらすことがあるのだなと非常に勉強になった。次節レバークーゼンは、ハンブルクホームでの一戦となるが、リヴァプールのレジェンド、ヒーピアの監督就任でモチベーション急上昇とならぬことを祈るばかりである。
2012年4月2日月曜日
ポートフォリオ2012年3月末
先月の新興国債券クラスに続き、外国債券クラスが永年の沈黙を経てプラ転したので換金し、株式のみのシンプルなポートフォリオに変更した上で、新興国株式を継続して積み立てると共に、interestingなIPOがあったのを機に、ちょっと欲を出して久しぶりに個別株を買ってみた。(日本株式44%の内、10%強)
直近で高止まりしている外国株式が上手く調整期に入ってくれて、40%ぐらいまで買えればいいのだけど。
って細かいな。






















