2012年12月21日金曜日

大前研一通信2012年12月号


2012年、「世界を変える 日本を震わす」7つの新潮流


・台湾の総統選挙(1月)


・韓国の大統領選挙(12月)


・ロシア大統領選挙(3月)


・フランス大統領選挙(5月)


・アメリカ大統領選挙(11月)


・中国の新しい総書記・国家主席の選出


・インドの首相交代予測


2012年初の展望として、大前研一さんは上記を挙げられていた。年末の今、多くの媒体で、2012年は、日本の総選挙を含めて選挙の年と振り返られており、さすがと言わざるを得ない。


2011年、「四つの地雷原」


・ヨーロッパのソブリンクライシス(国家債務危機)


・アメリカ経済とドル危機


・中国の不動産バブル


・日本の国家債務問題


そして、2年前にまで遡ってみると2012年に渡って大きくこの流れは継続しているように思える。何れも本質的な解決とはなっておらず、日本の国家債務問題にあたっては未だ表面化もしていないように思えるが、年末に掛けて上がり一本調子の株高の引き金を引くのはどこになるのだろうか。



フランス・ブリュターニュ旅行記("er"の季節に牡蠣を喰らう)



October,November,December

"er"で終わる月は牡蠣がうまいというのは有名な話。



ということで、またもや大前研一先生お勧めの、長大なリアス式海岸を擁し、豊穣な海の幸の宝庫、フランスはブリュターニュ地方のポンタヴェンPont-Avenにあるオーベルジュル、ムーラン・ド・ロズマデックLe Moulin de Rosmadecを訪れた。所謂オーベルジュとは、宿泊設備を備えたレストラン。新鮮な牡蠣とワインを味わい尽くす為に、ここで一泊。



生で食べるだけではなく、スープにしたり、ガーリックとバターでソテーにしたり、様々な料理法を駆使して、その味の表情を存分に引き出すこの店の牡蠣料理が大前先生のお勧めだったので、「牡蠣づくしのコース希望」とGoogle翻訳を使い倒してフランス語で予約の際に伝えたものの、色んな意味で?それは無かったことになっていたが、そんなことはどうでもよく、

キリッと冷えたフランスの白ワインに生牡蠣を喰らうと、うまー



他の方のブログで拝見していたが、牡蠣にも優るとも劣らないこの店のメインディッシュは、オマールエビ(広義の意味では、ロブスターでザリガニ系)。色んなコースがあるのだが、結果的にオマールエビを食して本当に良かったと思う。



ザリガニのエプロンを着用して、食べるオマールエビが今まで食べたことのない濃厚さで、濃厚で濃厚で且つ濃厚。マジうまー

世の中には、まだまだ食べたことのない素材があるものだ。



今回、パリから電車でカンペルレQuimperléに入り、バスでポンタヴェンへと移動した。(写真は、カンペルレ駅前のバス停)

大前先生の本では、パリから入りポンタヴェン、かつてフランス随一の港町として栄えていたサン・マロ、そしてモン・サン・ミシェルを経てパリへ2泊3日で戻るというコースとなっていたが、公共交通機関を利用する限り、現実的にたぶん無理。(初めて否定したったー)

ということで、サン・マロとモン・サン・ミシェルは改めて、行きたいと思っている。


2012年12月20日木曜日

ドバイ旅行記(金 カネ カネとカネ追いかけたら)



10月の週末、(HSVがいつもお世話になってます)エミレーツ航空で、アブダビ、シャルジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイマとともにアラブ首長国連邦、UAEを構成する首長国の一つで、数年で劇的な発展を遂げ、瞬く間に中東屈指の商業都市へと成長したドバイを訪問。

ドバイには現地で働く地元の同級生が住んでおり、早朝から深夜まで1日完全フルアテンドして貰ったおかげで、2012年の中で最も思い出に残る素晴らしい旅となった。ありがとう。



ドバイの中心デイラ地区には、金製品等を扱う小さな店舗がひしめき合うように軒を連ねる金市場ゴールド・スークがあり、ドバイの金(キン)の力を感じることができる。



2006年に10代目の首長となったシェイク・モハメッドが石油で得た潤沢な資金を活用して開発したというジュメイラビーチ・リゾート。白い砂浜に、館内に高さ90メートルのオブジェがあるという波の形を彷彿とさせる外観のジュメイラビーチ・ホテルが居を構える。



ジュメイラビーチ・ホテルだけでも十分に圧巻なのだが、その向かいの海上に、まさに度胆を抜くような地上321メートルと世界一の高さ(らしい)を誇る、全室スイートの"七つ星"ホテル、バージュ・アル・アラブ、別名アラビアン・タワーがそびえ建つ。



1番安いデラックススイートで約20万円。人口橋を沖に向かったところにあるバージュ・アル・アラブは見学などでは入れず、ドレスコードのチェックもある(らしい)ので、(超高級)ランチを友人に予約して貰い、いつもより以上のお洒落をして、無事に侵入。エントランスに黄金の柱を何本も配した巨大アトリウム。

凄すぎて、空いた口が塞がらない。



アラブ特有の白い衣装に身をまとい、サングラスを掛け、高級ブランドのバックを抱え、見たことも無いような高級車で颯爽とホテルに乗り付けるUAEの国籍を持つ生粋のアラブ人(ドバイの中で1割に満たない)の姿を目の当たりにし、嫌味を感じさせない、その品を含めて、ホンモノの金持ちはこうなんだ!と大いに勉強させて頂いた。

どう逆立ちしても、人生の中でこのレベルにまで行き付くことはありえない。



世界一の高さ(828メートル)を持つ(らしい)超高層ビル、ブルジュ・ハリーファから見るドバイの姿は、まさに砂漠の中の摩天楼。

2009年11月、リーマンショックに端を発した債務返済問題で、世界中にドバイ・ショックと呼ばれる金融不安を引き起こし、建設ラッシュの続いた大型プロジェクトは見直しを余儀なくされ、ドバイの経済成長率も一時はマイナス2.4%にまで下落したが、不動産市場は依然厳しいものの、観光業等の好調により、2011年の経済成長率は3%台にまで回復している。



ドバイの発展は、原油をはじめとする天然資源がもたらしたものだと思われがちだが、その産油量は隣国アブダビの10分の1程度で、天然ガスに至っては周辺諸国からの輸入に依存しているという。

こうした事情から、ドバイは早くから脱石油経済を標榜し、インフラ整備にはじまり、経済特区の設置、観光資源の開発、外国人の不動産所有の解禁など、国を挙げてカネを集める仕組みを構築し、原油価格の高騰と2001年9月に起きた米同時多発テロ事件を機として、周辺諸国のオイルマネーが、同じ中東エリアの安全な投資先としてドバイに流れ込み、砂漠の中の摩天楼・ドバイは形成された。

深夜になっても煌々と輝くドバイの夜景を見ながら、東京のそれと重ね合わせて、ドバイの持つギラギラとした「カネの匂い」から、今だからこそ日本が学ぶべき点が大いにあるなと。


ちなみに、今回宿泊したのはジュメイラグループのJumeirah Emirats Towers。決して安くは無いが、立地の良さを含めて、コストパフォーマンスは抜群だと思うので、ご参考まで。

ハンブルクからは、エミレーツの夜の便で飛ぶと、時差も関係し、翌日早朝にドバイへ到着するので、金曜の夜に出れば、週末でドバイを十分に堪能することができる。

※ドバイに関する記述の一部は、高城剛さんのメルマガ、高城未来研究所「Future Report」より引用した。


2012年12月18日火曜日

クリスマスマルクト巡り2012



まずは、最もロマンチックで魅力のあるクリスマスマルクトの1つ、と言われているらしい、ローテンブルクRothenburg へ。何故かウッシーのシャルケのユニフォームが飾られている店があるように、日本からのツアーにも組み込まれる程、メジャーなクリスマスマルクトのようだ。



ここローテンブルクは白ワインが有名。クリスマスマルクトの飲み物と言えば、温かいワイン、グリューワインだが、どこで手に入れたのか、ビールを飲むカップルに、ビールはどこで買えるんだ?と聞いているドイツ人(おそらく)がいて、その後、美味そうにビールを飲む彼の姿があった。



1631年、三十年戦争のさなか、ローテンブルクを占領した皇帝軍の将軍が、市参事会員たちの首をはねることになり、たまたま、将軍が市のワインをすすめられたとき、大ジョッキで一気に飲み干す者があらば斬首はやめようと言い、それに応えた市長が一気に飲み干して、窮地を救ったという、なかなか粋な伝説を再現した仕掛け時計が何ともユニーク。



サッカー観戦で訪れた、フュルトFürth のクリスマスマルクトに立ち寄る。この時期のドイツは、本当に至る所でクリスマスマルクトが開催されている。



アサモアはいなかったが、ロバ?みたいなのがいた。



ホテルがある、ヴュルツブルクWürzburg のクリスマスマルクトは下調べしていた時間前に早々と終了orz


次の日は雪の舞う中、ドイツで最もシルエットの美しい町と言われるらしい、バート・ヴィンプヒェンBad Wimpfen のクリスマスマルクトへ。



木組みの家がひしめく旧市街に、中世の雰囲気漂う15世紀から続くという伝統的なクリスマスマルクトは、今まで数多く訪れた中でも印象に残るクリスマスマルクトとなった。



クリスマスマルクトに立ち並ぶスタンドの一角に忽然と姿を現す、動物には何かの意味があるのだろうか?


2012年12月17日月曜日

スロヴェニア(リュブリャーナ、マリボル)旅行記



2012年9月、EU(欧州連合)加盟国27ヵ国中、25ヵ国目(残るは、ブルガリアとルーマニア)の訪問は、オーストリア、ハンガリー、クロアチア、イタリアと国境を接し、鍾乳洞など自然の美しさで有名なスロヴェニアへ。



スロヴェニアの首都リュブリャーナへは、ウィーンから世界初の山岳鉄道として知られ、世界遺産にも登録されているゼメリング鉄道で、ほぼ半日を掛けて移動。街を流れるリュブリャニツァ川と、リュブリャーナ城から見下ろす、赤瓦の屋根が連なる景色が実に素晴らしい。



翌日、電車でウィーンへ戻る途中にある、スロヴェニア第2の都市マリボルへ。ワインの名産地として知られ、ギネスブックにも掲載されている世界最古のワインの木があり、少なくとも400年以上前の木ではないかとされ、今もぶどうがたわわに実る。



毎年、収穫の時期に合わせて、「古いブドウの木の祭り」が盛大に催され、その昔、天皇陛下にもこのワインが贈られたとそうな。



マリボルは、ポルトガルのギマランイスと並んで今年の「欧州文化首都」に指名され、一年間にわたり集中的に各種の文化行事を展開しているはずだったが、この日は欧州の典型的な日曜日で、街でマラソンをやってる以外は目立った催しを目にすることは無かった。

1泊2日の、ほぼ半分を移動に費やし何かと忙しいスロヴェニアの旅であったが、今回訪れたリュブリャーナとマリボルはどちらもこぢんまりとして街の雰囲気が良く、忙しい中にも意外とゆっくりできたなと思う旅であった。リュブリャーナで食べた、夕食もうまかったなー


2012年のサッカー観戦記録とベストゲーム

2009年25試合、2010年21試合、2011年25試合と観戦し、2012年は下記の通り24試合を観戦した。1年間で何試合観ようと決めている訳では無いが、HSVのシーズンチケットを持ち、積極的に旅行とサッカー観戦を並行してこなしていくと、だいたいこのくらい(年間25試合程度)のペースとなるのだろう。ということで、ドイツに来たときに漠然とトータルで100試合以上は観たいなと思っていたが、雄に突破してしまったようだ。2013年は、デュッセルドルフを今シーズン中に訪れ、ブンデスリーガ1部全スタジアム制覇を達成したい。


●1.22 HSVvsドルトムント


●2.4 HSVvsバイエルン・ミュンヘン


●2.12 ザンクトパウリvsボーフム


●2.18 HSVvsブレーメン


●3.3 HSVvsシュツッツガルト


●3.17 HSVvsフライブルク


●3.25 ケルンvsドルトムント


●3.31 レヴァークーゼンvsフライブルク


●4.14 シャルケvsドルトムント


●4.28 HSVvsマインツ


●6.15 スウェーデンvsイングランド


●6.16 チェコvsポーランド


●7.28 日本vsスウェーデン


●7.29 日本vsモロッコ


●8.4 日本vsエジプト


●8.25 HSVvsニュルンベルク


●9.29 HSVvsハノーファー


●11.3 HSVvsバイエルン・ミュンヘン


●11.10 フライブルクvsHSV


●11.11 ザンクトパウリvsボーフム


●11.17 HSVvsマインツ


●12.1 フュルトvsシュツッツガルト


●12.2 ホッフェンハイムvsブレーメン


●12.15 大宮vs川崎


2007年2008年2009年2010年2011年に引続き、毎年恒例。


それでは。


☆2012年1位☆ 日本vsエジプト(ロンドンオリンピック)


近年の日本サッカー界の壁である、ワールドカップあるいはオリンピックでの決勝トーナメント1回戦をオールド・トラフォードという大舞台で、しかも3vs0の快勝で突破した一戦が今年のベストゲーム。もちろん、試合前の国歌斉唱から勝利に一役買ったと勝手に思っている。(現地観戦の醍醐味)そして、結果的に次の準決勝、3位決定戦に敗退してしまったので、晴れて?「ロンドンオリンピック、エジプト戦現地観戦組」の称号を得ることができたのである。


☆2012年2位☆ チェコvsポーランド(EURO2012)


ヴロツワフ(Wroclaw)で観た、欧州選手権(EURO)の決勝トーナメント進出を賭けた地元ポーランドの予選リーグ最終戦は、同じく予選突破を目指す隣国チェコとの対戦。スタジアム全体から、ポーランド国歌、ドンブロフスキのマズルカ(Mazurek Dąbrowskiego)でチームを鼓舞する姿に痺れた。ポーランドサポーターの文字通り、耳をつんざくようなブーイング(口笛)は凄まじいの一言。


☆2012年3位☆ HSVvsハノーファー(ブンデスリーガ)


HSV創立125周年記念試合として開催された、この日のゲーム。サポーター有志の募金60K EURを掛けて作成され、スタジアム全体を覆った4万5千のゲーフラと、この日の勝利は、我らがHSVの伝統と誇りを感じるに足る、素晴らしいものであった。



2012年12月3日月曜日

2012/13シーズン ホッフェンハイムvsブレーメン(宇佐美出場試合)観戦記



マイクロソフト、オラクルに次ぐ世界第3位のソフトウェア会社で、今年シーメンスとフォルクスワーゲンを抜き、初めてドイツで時価総額トップとなった、泣く子も黙るSAP社をバックに抱え1部昇格以降、安定した成績を残すホッフェンハイムのホームスタジアム、Rhein-Necker-Arenaへ。

全てのスタジアムを訪れる、ブンデスリーガ制覇の旅も、残すはデュッセルドルフのみとなった。



このスタジアム、傍から見た印象では、バイヤンのアリアンツ・アレーナ並みのデカさであったが、キャパは3万人。おそらく、メインスタンドの大部分を占めるビジネスシートがスペースを大幅に喰っているせいだと思うが、さすがSAP。そして、何ともホッフェンハイム(無味無臭)のホームスタジアムっぽい。



この日も?スタジアムは空席が目立っていたが、スタジアムは集客できる人数に応じたキャパを設定するに限る。それはさておき、12月初旬、極寒の天気と相まってホッフェンハイムはブレーメンに対し、前半早々に2点を失い、ホームで全く見せ場無く1vs4で試合終了。非常にお寒い。



この敗戦の結果4連敗。15試合を終えて、3勝3分9敗の勝点12で降格圏内(入替戦)の16位に沈むホッフェンハイムは想像通り、バベル監督を解任し(よく解任されるなー)、U23のクラマーが暫定で指揮を執ることとなった。

Bild紙の予想ではスタメンとなっていたが、この日の宇佐美はベンチスタート。個人的に宇佐美びいきなので、プレーを見るのをとても楽しみにしていたが、0vs2とされた前半で、前2枚が一気に変わり、後半も1vs3となったところで1枚投入されたにも関わらず、いずれも呼ばれたのは宇佐美では無かった。

バベル分かってないなー(そりゃあかんわ。)と思うと同時に、宇佐美信頼されてないなー(頼むよ。)と。

新しい監督に代わって、どう順序付けされるのか定かでは無いが、現状で宇佐美にチャンスが回って来ない訳が無いので、ブンデスリーガに宇佐美あり!傍若無人に大暴れして欲しいものである。

ただし、次節(HSV戦)以降からお願い。


2012年12月2日日曜日

2012/13シーズン フュルトvsシュツッツガルト観戦記(岡崎、酒井出場試合)



パウリ・アサモアの活躍により、昨シーズンのブンデスリーガ2部を制し、ブンデスリーガ発足後初の1部昇格を果たし、残留へ向けて奮闘するフュルトのホームスタジアムへ。フュルト(Fürth)はバイエルン州に位置し、ニュルンベルクとは同じ地下鉄網にある程、目と鼻の先にあり、同じ州に属するミュンヘン、アウグスブルクそして、シュツッツガルトやホッフェンハイム、フランクフルト、はたまたフライブルクとも近い。

この地域は、ルール地方と並び、ドイツの中でもサッカーが盛んな2大地域と言ってもいいだろう。



フュルトのホームスタジアムTrolli ARENAは、キャパ1万8千人とブンデス1部の中でおそらく最も小さいスタジアム。今回座ったメインスタンドの前方は、いわゆる仮設スタンドとなっており、屋根にも覆われていないが、キャパ2万人程度で街中にあり、スタジアム自体にお金は掛かっていない。我がホームスタジアムとしては申し分無い類のもの。

ちなみに、この日は試合開始から、アウェイのシュツッツガルトサポーター含めて、全く声を出さず、フュルトにあたってはゴール裏中央が完全に空いていたので、かなりの違和感を感じていたが、12分過ぎ頃からeins, zwei, drei,,,という掛け声と共にシュツッツガルトのチャントが始まり、時を同じくしてフュルトサポーターもゴール裏席に雪崩れ込んできた。

何だったのだろう?と今でも疑問だが、翌日訪れたホッフェンハイムのスタジアムでも12分過ぎ迄チャントが無かった。

何だったのだろう?



Diese Stadt und ihr Verein werden unsere Liebe sein

フュルトの象徴、緑の葉っぱ。てっきりクラブのマークとばかり思っていたが、どうやら町の紋章と同じらしく、巷ではクローバーと言うらしい。誠意ドイツ語勉強中の妻に教えてもらったが、町の紋章と共にこの言葉をスタジアムに掲げるとは、何とも粋だ。

この町とクラブは、私たちの愛となるだろう。(私的完全意訳)

第二次大戦前には、3度の優勝を果たした古豪フュルトもブンデスリーガ発足後は低迷し、過去6度あった昇格のチャンスを生かすことができず、失敗のイメージが付いて回るというフュルトだが、ユニフォームのデザイン然り、個性を持ったグッドなクラブだなというのが印象。

色々な意味で、このようなスタジアムを持つクラブが増えてくれば、Jリーグ(あるいはJFL)も面白くなってくると思うのだが。



ということで、岡崎&酒井であるが、ご存知の通り、前半終了間際に岡崎が周到な準備からPKが外れたこぼれ球に突っ込み先制。Bild紙の予想では、酒井スタメン岡崎ベンチだったが、両人共にスタメンフル出場。主に右サイドでチームメイトに対するコミュニケーション含めて、チームの中心としていい味出してた。

改めて、シュツッツガルトで日本人ふたり先発ってすごくないすか?


2012年12月1日土曜日

「投信ブロガーが選ぶ! Fund of the Year 2012」に投票しました

早いもので明日から師走を迎え、昨今稀に見る11月の大相場が年末まで継続するのかどうか定かでは無いが、昨年"投信ブロガー"として判断頂いたようなので、今年も買付金額の多かった3つの投信に其々投票した。


今年の教訓は、「やっぱりインデックス投資が1番ね。」



「投信ブロガーが選ぶ! Fund of the Year 2012」とは?



投資信託について一般投資家の目線でつねに考え、情報を集め、ブログを書いている投信ブロガーたち。投資信託の事情通である彼らが支持する投資信託はどれか?


証券会社の宣伝やうたい文句にまどわされず、自分たちにとって本当によいと思える投資信託を投信ブロガーたちが投票で選び、それを広めることで「自分たちの手でよりよい投資環境を作っていこう!」というイベントです。