2013年1月28日月曜日
2012/13シーズン HSVvsブレーメン(ノルトダービーNordderby)観戦記
絶対に負けられない戦い、ブレーメンとのノルトダービー。
2007/08シーズン負け、2008/09シーズン勝ち、2009/10シーズン勝ち、2011/12シーズン負けと、2勝2敗のタイで迎えた5回目の観戦。そして、今シーズンよりファン・デル・ファールトがノルトダービーの舞台に戻ってきた。(シルビーは訳ありで、本日の舞台には戻って来ず。)
シーズン後半戦のホーム開幕戦となった、この日のゲームは寒風吹きすさぶ中、おこなわれたがノルトダービー恒例のシャイ〇・Werderのチャントがこだまし、さすがのブレーメンクオリティで点の取り合い白熱した好ゲームとなった。日本にも早くこのようなダービーマッチが生まれて欲しいものである。ちなみに、ハノーファー戦で資金を使い果たしたのか、コレオグラフィーは無し。
前節ニュルンベルクとのアウェイゲームを渋めのドローで終えたHSV、中位に低迷するブレーメンを突き放す意味でも勝点3をモノにし、これから終盤に差し掛かる今シーズン、ヨーロッパリーグ圏内そしてチャンピオンズリーグを射程に置いて戦っていきたいところだが、ゲーム開始早々に先制点を与えてしまう。
ソン!アオゴ!ルドネフス!
リヴァプール等、冬の移籍市場でのプレミアへの移籍の噂が絶えないソン・フンミンがサイドネットに突き刺すドイツ語で言うところのズーパーな、今シーズン7点目のゴールで追い付き、ノルトダービーを知る男アオゴによる追加点(何と!HSVでのブンデス初ゴール。どんだけ決めてないんだ。。。)そして、頼れる10番ルドネフスの今シーズン8点目で突き放し、3vs2での勝利。
ファン・デル・ファールトを補強したことでホント、点が獲れるようになったなー
ダービーでのゴールを境に、HSVの宝とまで表現されるようになったブンデスナンバー1アジア人プレイヤー、ソンちゃんの残留も決まり、冬の移籍市場で選手の獲得が無かったのはバイエルンとHSVのみ。それだけ現有の戦力に満足しているのか、はたまた既にもう予算が無いのかは知る由もないが、次節対戦する4位フランクフルトまでの勝点5。
チャンピオンズリーグ!と公に言っても笑われない位置までやってきたお。
Das Spiel im Stenogramm:
Hamburger SV: Adler - Diekmeier, Bruma, Westermann, Jansen - Badelj - Skjelbred (62. Arslan), Aogo - van der Vaart (83. Rincón) - Rudnevs, Son (90. Rajkovic)
SV Werder Bremen: Mielitz - Gebre Selassie (56. Arnautovic), Lukimya, Sokratis, Schmitz - Fritz - Ignjovski, Junuzovic, Ekici (89. Prödl), de Bruyne - Petersen
Tore: 0:1 Lukimya (9.), 1:1 Son (23.), 2:1 Aogo (46.), 3:1 Rudnevs (52.), 3:2 Sokratis (54.)
Schiedsrichter: Thorsten Kinhöfer (Herne)
Zuschauer: 54.758
Gelbe Karten: Rudnevs, Adler / Fritz, Arnautovic
Gelb-Rote Karten: - / Fritz, Arnautovic
Rote Karten: - / -
2013年1月21日月曜日
ルーマニア旅行記(ブカレスト、国民の館とチャウシェスク)
昨年、ルーマニアで非常に痛ましい事件が起こりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
ドイツ滞在中に、ヨーロッパの全ての国に行くぞ!と決意して始めた欧州制覇の旅も、ついに一旦ファイナル。
EU(欧州連合)加盟国27ヵ国中、27ヵ国目の訪問となるのは、ブルガリアと共に現状では最後となる2007年にEUに加盟し、北にウクライナ、北東にモルドヴァ、東は黒海に面し、EUで最も東に位置するルーマニアの首都、ブカレスト。
1989年の東欧革命により、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなどの東欧諸国で共産党政府が打倒され次々と民主化する中、治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こって多数が犠牲となり唯一、武力による革命となったルーマニア。
それまで独裁者として君臨していたチャウシェスク大統領が宮殿として造らせたという国民の館は、その外観を見た瞬間に身の毛もよだつような外観であった。
ブカレストでも最も古い旧市街を壊して造らせた、国民の館を起点として約4キロメートルにわたってブカレストの街を走り抜ける統一大通り。
メガロマニアと呼ばれたチャウシェスクがパリのシャンゼリゼ通りと寸分違わない幅と長さを実現しようとしたといわれるが、幅が6メートル広くなってしまったといい、今となっては人通りも少なく非常に閑散としている。
建築物としては、アメリカ国防総省ペンタゴンに次ぐ、世界で2番目の大きさを誇り、その部屋数は地上10階地下4階に、3,000を超える。統一大通りの端から見ても、そのデカさが十分に分かるが、国民が貧しい生活を送る中、よくもこんな建物を造れるなと感心してしまう。
権力というものはまったく凄まじいなと。
1989年のルーマニア革命で、政権が倒されたのを機に、建設計画の7割程度の完成をもって建設が一時中断されたが、建物が着工したのが1983年。贅沢の限りを尽くした内装を持つこれだけの建物をよくもこのスピードで建てたなと感心してしまう。
国民の館の見学は、正面に向かって右側面の入り口から入り、ガイドと一緒に館内を回る。約1時間半のツアーだったが、その間に見て回ったのが何と!建物全体のたった5%。あまりに大規模で管理ができないために、一部の公開となっているとのこと。
横に回って見ても、正面入り口ですか?と言わんばかりのデカさには脱帽せざるを得ないが、チャウシェスクが何を思って、この建物を建てたのか?
単に私腹を満たすためのものだったとは到底思えないのだが。
ルーマニアの長い歴史の中で、繰り広げられてきた民族抗争に関する資料が展示されている国立軍事博物館。時系列での展示がおこなわれており、1989年民主革命の市街戦の当時配布されたビラ、戦死した市民の遺品、写真などが当時の激しさを物語る。
第1次世界大戦の勝利を記念して、1919年に建てられた凱旋門。当時のブカレストは、「バルカンの小パリ」と呼ばれていたというが、チャウシェスク含めてどれだけパリに憧れているんだと。
そのときの記憶は定かでは無いが、テレビを通じて全世界に報じられた1989年の民主革命の銃撃戦の舞台となった革命広場に足を踏み入れて、同じEUと言っても、それぞれの国の歴史や文化など全く違うなと改めて感じた。
それこそ、(これだけ陸続きなので当然と言えば当然であるが)過去に戦火を交えた国同士が少なくとも同じEUとしての枠組みの中では志を共にしている点は凄いことだなと。
2013年1月14日月曜日
RANGERS vs BERWICK RANGERS 観戦記
2013年1発目の観戦は、(今こそ)訪れるべきスタジアム、俊輔セルティックと並んでスコットランド絶対的2強の一角を占めるグラスゴー・レンジャーズのアイブロックス・スタジアムへ。
グラスゴーは、5年前のセルティック・パーク訪問(当時の様子は、こちら)以来。レンジャーズはカトリック、セルティックはプロテスタントと宗教を背景としたライバル関係にあり、オールドファームと呼ばれるダービーマッチは世界的に有名。
今思えば、セルティックに俊輔が居るときにオールドファームに行かなかった自分が情けない。
ご存知の通り、レンジャーズは2012年2月の破産申請により、今シーズンから4部に相当するスコティッシュ・フットボールリーグ3部に所属している。
セルティックが、チャンピオンズ・リーグのホームでバルセロナを破り、グループリーグ突破を決めるなど世界を舞台に華やかな活躍を見せる傍らで、レンジャーズは今までと変わらず、この日も何と4万4千人強!の観客を集め、日常のフットボールシーンを戦っていた。
入場シーンが無かったりと4部リーグならではの光景も見られたが、圧巻だったのは、この日2点目の失点を喫した際に、(先制して勝つのは当然。)全体的に静かな雰囲気の中で進んできた中で、スタジアムのあちこちから選手を叱咤激励するサポーターの声が飛び交い、そのキックオフ直後、直ぐにレンジャーズが追加点を決めたシーン。
まさにサポーターが鼓舞し、選手が応え、サポーターが褒め称える。所属するディビジョンは関係無い(ホントはあるのだが)、これぞフットボール!スコットランドサッカーの歴史と重みを十二分に感じさせるスタジアムを包んだ、最高のシーンだった。
グラスゴーと同じく、我がハンブルクのHSV(ハンブルガーSV)とザンクトパウリも街を二分するライバル関係にあるが、HSVはレンジャーズ、ザンクトパウリはセルティックとフレンドシップ関係を結んでおり、ハンブルクのフットボールシーンでレンジャーズとセルティックの名を聞くことが多い。
ということで、この日はグラスゴーに入ったときから我がHSVのマフラーを身に着けてスタジアムに向かったが、スタジアム外ではレンジャーズとHSVの名が入ったマフラーが売られていたり、レンジャーズサポーターのチャントの多くがドイツ的なHSVと同じであったりとHSVがレンジャーズに与えている影響はそう小さくは無いようだ。
だから、破産したのか。。。
レンジャーズのサプライヤーは、イギリスのUMBROなのだがスタジアム隣接のファンショップのクオリティが非常に低い。マンチェスター・ユナイテッドやリヴァプールそしてセルティックなどはファンショップが非常に充実しており、個人的に服は日常でも着れる程。
そこはいいにしても、最悪だったのがグッズを買ったときに、エコバックを買うか?と聞かれ(それもまあ許せるが、)買わなかったときの袋がまさかのレンジャーズのレの字も無い真っ白の袋だったこと。
クラブ経営の中で、グッズ収入が占める割合の大きさは決して小さくないのだが、UMBRO含めて、いわゆるブランドを全く考えていない感じが残念過ぎて泣けてくる。
ちなみに、グラスゴー空港にはセルティックのショップがあったが、レンジャーズは無し。4部リーグの試合にも関わらず、鬼の様な数の警備員やスタッフが居たりと、破産の姿が色々と垣間見える。
ということで、とても勉強になる旅でしたっ!
みなさんも機会があれば、今年ぜひ。
2013年1月7日月曜日
ブルガリア旅行記(ソフィア、リラの僧院)
2013年1発目の旅行は欧州制覇の旅、EU(欧州連合)加盟国27ヵ国中、26ヵ国目の訪問となる、ブルガリアへ。
金曜夜のフライトで首都ソフィアに入り、翌日ほぼ丸一日を使い、ブルガリアにおいて文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の1つと評価される世界遺産、リラの僧院にも足を延ばす。
ソフィアから車で2時間強、リラ山脈を奥深くに入って行ったところに、ブルガリア正教会を代表する修道院、リラの僧院がある。
よくこんな山奥に造ったなと感心せざるを得ないが、10世紀にリラの聖イオアン(イヴァン・リルスキ)が建立しその後、中世の宗教と文化の中心となっていった。
教会の外壁、天井、アーケードいっぱいに描かれたフレスコ画は圧巻。36の聖書の場面や天国と地獄が表現されたものなどが色彩豊かに描かれている。
リラの僧院が現在の形になったのは14世紀。その後、ブルガリアは約500年に渡ってオスマン朝の支配下に入ることになり、この間、キリスト教の信仰やブルガリア語の書物を読むことに制限が加えられていたが、この僧院だけは、それらが黙認されていたという。
ツアーに付いて貰った女性を含めて、ここを訪れた人が、ブルガリア正教の十字を描いて祈る姿がとても印象的だった。
ソフィアの中心部、地下道から屋根だけを地表に突き出している半地下式の聖ピトカ地下教会。オスマン朝の治世下にあった14世紀に建てられ、イスラム全盛の世にあって、このような形を採らざるを得なかったという。
ふと、通り掛かった大統領官邸前で地味に交替する衛兵の方々。偶然見掛けたのが、衛兵交替式だったのかどうか定かでは無いが、後から4、5人集まったが、始め見てるのは自分だけだった。
って言うか、別に交替してた訳じゃないのかな?
四谷じゃない方のソフィア大学近くにある、5,000人を収容するブルガリア最大のアレクサンダル・ネフスキー寺院。高さ60メートルの金色のドームをはじめ12のドームからなる外装がめずらしいが、非常に印象に残ったのは豪華なシャンデリアがつり下げられ、メノウ、大理石がふんだんに使われた素晴らしい内装とそこで十字を描くたくさんの人々。
今回のブルガリア旅行は、宗教の存在の大きさをまさに五感で感じることができた貴重な旅であった。
2013年1月6日日曜日
大前研一通信2013年1月号
みなさま新年を如何お迎えでしょうか?
新政権の発足は何となく長年連れ添ったダメ親爺が戻ってきたようで余り新鮮味がありませんね。3・11以来の悪夢のような時代には一刻も早く終止符を打っていただきたいと思っています。

という一文から始まる毎年恒例、新年のご挨拶という大前研一さんからのメールが2012年大晦日の夜、送られてきた。
大前研一通信の1月号では毎年、その年の世界の展望に触れられていたが、今年は特に無し。冒頭の挨拶にもあったが、新年早々に「クオリティ国家という戦略―これが日本の生きる道」という本が出版され、新しい国家像を描かれている。
今月号の内容を見ても、いわゆる世界の潮流的な記事は少なく、そのほとんどが日本をどうするか?という具体的な話。
いろんな意味で、残された時間は少ないと感じられているのでは無いか。
2013年1月3日木曜日
投信積立の記録(2012年の振り返りとポートフォリオ2013年初)
先週末の日経平均株価は、10,800円を超え、民主党が衆院解散を決めた昨年11月2週から、上昇し続けており、円安の流れも止まらない。まさに、「押し目待ちに押し目無し」を地で行く状況だったが、今週に入って一本調子で続いた円安傾向に陰りが見え始めたと同時に、16日(水)の日経平均は、衆院解散表明後の最大、2011年8月以来、約1年5ヵ月ぶりの278円安(2.5%安)の終値となった。
今日たまたま、夜遅く(日本の朝)に目が覚め、買いたい株(『事故は買い、事件は売り』)があった為、相場を見て、
日経平均戻したなー
と思って寝て、朝(日本の昼)目が覚めたら、円高か何かでまた下げに転じており、
円安も株高も、そして日本もピークを迎えてしまったのかなー
早かったなー
とネガティブな気持ちになり、朝の準備を終え、再度相場を見たら、要人の発言どうのこうので、終値では急速にプラス圏内に戻していていて、マジびびった。
1.17日本沈没の危機は免れたようだが・笑、これから一体どうなっていくのだろう。
ということで、今日の相場も助けて、狙っていたところで上手く買えて、去年から進めてきたETFへのリレー投資後、口座に現金の残高もほとんど無く、また愚直にインデックスを積み立てていける、狙っている最高のポートフォリオが今日時点でたまたまできた。
年末の円安と株高でかなりの含み益を抱えることができ、結果的には良かったのだが、投資金額が増えてきて調子に乗って禁を破って個別株に手を出してしまったのが、2012年の大いなる反省点。
何が問題かと言うと、個別株を持つと、相場が気になり多大なる時間を浪費してしまう。今日時点のポートフォリオで、長期保有目的の株を必要最小限で上手く保有することができているので、2013年は、今日設定した毎月の積立を自動的に行うのみ、まさしく、ほったらかし投資を地で行こうと思う。
ということで、相場も見ないし、毎月のポートフォリオチェックも止めることとする。
達観した気分w
2013年1月2日水曜日
2012年の振り返りとドイツハンブルク生活6年目、2013年の目標
あけましておめでとうございます。
2010年から始めた、1年の目標設定、去年の反省も踏まえて記します。(2012年は、こちら、ver2、ver3。2011年。2010年)
今年もよろしくお願いします!
(基本、去年からの継続で順不同)
1.3.17ローママラソン、4.7パリマラソン、4.21ハンブルクマラソン完走
金哲彦コーチからメルマガでアドバイス頂いた、すべての(とは言わないまでも)都市マラソン制覇を目指し、ハンブルクマラソン+1の大会でサブフォーにチャレンジし、その練習を兼ねて複数の都市マラソンに参加したい。とりあえず今年前半はこの3レース。
2.税理士簿記論、財務諸表論合格
実際に日本に行って受験(8月)できるかどうか定かではないが、受験することを前提に引き続き勉強とそのための準備を進めて行く。
3.日常会話レベルのドイツ語を習得する
この本を読んで、海外で成功するためには語学が必要条件であることが分かった。(6年目でようやく?)ということで、ドイツ語の学習を継続し、どこかのタイミングで必ず(今さらながら)語学学校にも通う。
今年は、具体的な期限とアクションプランは敢えて設けないが、Financial Times とEconomist を読むこと、読んだ本を記録することを含めて、佐藤優さん方式で毎日きちんと記録に残していくことを唯一のアクションプランとし、欧州制覇の旅、ブンデスリーガ制覇の旅を継続し、攻めの姿勢は常に持ちながら、基本的には来年以降を見据えてドイツそしてハンブルクに軸足を置いた生活をしていきたいと思う。このブログも、より読む人を意識して、量と質を上げていきたい。
以上です。
何だかんだで長谷部と同じく6年目に突入しましたが、残り少ないドイツハンブルク生活、是非とも遊びに来て下さい!




























