2013年8月26日月曜日

2013/14シーズン ブラウンシュヴァイクvsフランクフルト(乾出場試合)観戦記



 1963年のブンデスリーガ設立の際のメンバーであり、1966/67シーズンのマイスター(王者)、胸広告を考え出した、ドイツサッカーの伝統の一部である古豪が1部に再び帰って来た。

 ヴォルフスブルクとハノーヴァーのちょうど真ん中に位置し、12世紀に北ドイツ一帯を支配した、ライオンのような勇敢さで獅子公と称えられたハインリヒ公の居住地として栄えたブラウンシュヴァイク。

 当時と変わらない黄色と青のチームカラーが映える!



 ということで、諸事情により荒くれ者集うアウェイ側入口よりスタジアムの中へ。



 昇格したことで収入が増えるため改修されたスタジアムのキャパは、2万4千人。そのほとんどがシーズンチケット購入者で埋まり、試合前にはお決まりのYou'll never walk alone がこだまする。



(バスで大挙して押しかけたフランクフルトサポと共に何年かぶりに立見。)



 今季初勝利を掛けた一戦は、アウェイのフランクフルトが0vs2で快勝。戦力の違いを見せ付ける結果となったが、選手に温かい拍手を送るブラウンシュヴァイクサポーターの姿が印象に残る。

 現状の戦力に1部での結果を求めるのは、酷であることを皆が理解しているのだろう。

 さすがは歴史あるサッカーの街だ。



  この日、左サイドハーフで先発フル出場を果たしたセクシー乾は細貝宜しくチームの中心として活躍し、アウェイゴール裏サポーターからのまだまだやれるという期待をビシビシ感じることができた。

 Kicker、Bild、ブンデスリーガ公式でマン・オブ・ザ・マッチに選出されたらしいが、何本かあった得点のチャンスも外しており、それは言い過ぎだと思うがそれはさておき、これで改めて、ブンデスリーガ1部全スタジアム訪問を達成した。


2013年8月25日日曜日

2013/14シーズン ヘルタ・ベルリンvsハンブルガーSV(HSV)観戦記(細貝出場試合)



 2009年の世界陸上を観戦して以来の、首都ベルリンのオリンピアシュタディオンを訪問。"また"降格してから1年での1部復帰を果たしたヘルタ・ベルリンの試合を観戦し、ブンデスリーガ1部全スタジアム訪問のアップデートをしておかねばならない。



 7万4千のキャパシティを誇り、1936年ベルリンオリンピックのメイン会場となった由緒あるこのスタジアムは、毎年ドイツカップ決勝が行なわれ、2014/15シーズンのチャンピオンズリーグ決勝の舞台となることも決定している。



 1部と2部を頻繁に行き来するエレベーターチームの様相を見せるヘルタ・ベルリンであるが、泣く子も黙る首都ベルリンをホームとするブンデスリーガ有数の人気クラブ。この日は、地理的に近いHSVとの対戦ということもあり、6万4千を超えるサポーターで埋まった。



 開幕2試合を1勝1分と、昇格チームとしては順調なスタートを切ったベルリン。CL組のレヴァークーゼンから移籍し、アウクスブルク時代の恩師ルフカイ監督の下、本職のボランチでスタメンを張る細貝が活躍。互いに点が入らず我慢の試合となったが、選手交代を機に後半30分に先制点を挙げたベルリンがそのまま守り切った。

 ブンデスリーガは、毎週のリーグ戦が相当なプレッシャーの掛かったビッグゲームだ。

 細貝にとって今回の移籍は、ワールドカップ云々は関係無く、チームの中心として毎週の試合に向けて準備をし、熱いサポーターと一緒に90分を全力で戦っていく素晴らしい経験、チャレンジになっているなと感じた。



(1万人を超えるサポーターが足を運んだHSV。試合後、シーズン開幕直後とは思えないような悲壮感が漂う。)



 ブンデスリーガ創設以来、唯一、降格の経験が無いHSVは1部在50周年の記念すべき試合だったが、(申請するも)ホームでやらせて貰えず、昇格組のベルリンから勝点を獲ることができなかった。

 次節は、ホームのブラウンシュヴァイク戦。

 絶対に負けられない戦いとはまさにこのことである。


2013年8月18日日曜日

2013/14シーズン ハンブルガーSV(HSV)vsホッフェンハイム観戦記

 世界最強リーグ、ブンデスリーガのワールドカップを翌年に控えた2013/14シーズンが瞬く間に開幕。

 昨シーズン、惜しくも7位に終わり、あと一歩のところでヨーロッパの舞台を逃してしまった我らがハンブルガーSV(HSV)、今年こそは6位以内を目指すのと同時に、ドイツカップ経由ヨーロッパカップの裏ルートも積極的に狙って行く。



 Dauerkarte(シーズンチケット)も、早いもので4シーズン目となり、今年はメインスタンドのホーム側最前列を確保。新たにグアルディオラが監督に就任した、CL王者バイエルンミュンヘンを中心とした世界最前線のフットボールシーンを間近で体感し、来たるワールドカップに備えて、海外で鍛錬を続ける日本代表戦士たちの勇姿を目の当たりにしたい。



 ということで、我らがHSVだが、使えない(結果的に)若手を多数引き連れてチェルシーから鳴り物入りで入団したもの、何の目立った成果も残せなかった、フランク・アネルセンが解任され、新たにカールスルーエからクロイツァーがスポーツディレクターに就任したものの、従来より続く財政難が積極的な補強への障害となり、ソン・フンミンをレヴァークーゼンに売却した以外、特に大きな戦力の入替は発生しておらず、先行き怪しい。



(今シーズンより始まった、試合前の選手、サポーターが一体となった手拍子。効果は未知数。)



 ホーム開幕戦は、昨シーズンかろうじて1部残留を果たしたホッフェンハイムが相手。前半早々に先制点を許し暗雲立ち込めるも、終了間際にファン・デル・ファールトのPKで何とか追いつく。

 が、後半立て続けに4失点して、ジ・エンド。

 反撃の欠片も見れず、サポーターも早々と帰路につく。



 この日の結果は、サポーターの今シーズンへの淡い期待を打ち砕くに十分なもの。補強を含めて、チームがどこを目指しているのかが分からないのが如何ともし難い。



(試合前は笑顔だったHerman。さぞかし打ち拉しがれているに違いない。)


2013年8月13日火曜日

フランス、ブルターニュ地方旅行記(モン・サン・ミシェル、カンカル、サン・マロ)



 北はイギリス海峡、南は大西洋に面しているフランスの最西端、ブルターニュ地方。去年の12月に訪れたポンタヴェンに続き、パリと並ぶフランス2大観光地モン・サン・ミシェルを訪問した。



 長大なリアス式海岸を擁すブルターニュ地方は、豊饒な海の幸の宝庫。

 ローマ時代から牡蠣の産地として知られ、その昔ナポレオンが取り寄せたという逸話があるブルターニュ随一の牡蠣の名産地カンカルへ。



(種類ごとに籠に積まれた牡蠣は、その場で剥いでもらうことができる。)



 カンカルの牡蠣は、1970年代後半に貝の病気でほぼ全滅状態になったのだが、その危機を救ったのが宮城の牡蠣の稚貝。その後、東日本大震災の直後には、牡蠣の養殖に使用する網などがカンカルより被災地に空輸されたという。

 今まで食べたことの無い感じのミルキーで濃厚な味だ。



(1番大きいことを表す、No.1の牡蠣。1番高い。)



 モン・サン・ミシェルの始まりは8世紀。ブルターニュ半島・アヴランジュのオベール司教が、夢に現れた聖ミカエルのお告げによって、海に浮かぶ小さな岩山に礼拝堂を建てたのが最初という。

 フランス随一の景勝地、抜群にフォトジェニックな場所だが、道路を渡って中に入って、階段を上がって修道院へ行くと、とにかくだだっ広いのに驚く。



(モン・サン・ミシェル名物の巨大オムレツ。味はさておき、とにかく高い。)



 今回の旅の拠点とした、かつてフランス最大の港として栄えた城壁の街サン・マロ。パリからTGVが開通しており、モン・サン・ミシェル、カンカルへはバスor 電車を使っての移動が可能。

 モン・サン・ミシェルは、パリからの日帰りでは無く、ブルターニュ地方の街に寄り道するのが良いと思う。


2013年8月6日火曜日

大前研一通信2013年8月号 日本のカラクリ(政権交代の障壁) の書評


今月も、備忘録的に。


・7月2日発表の「国土交通白書」(2012年度版)によると、40歳未満の若い世代の持ち家比率は、1983年(42.2%)から2008年(28.4%)の25年間で約14ポイント低下した。


・日本の空き家率(総住宅数に占める空き家の割合)は、全国平均で約13%。7-8軒に1軒が空き家という状況。


・ここ十数年、日本のすべての所得層で年収は100万円以上減っている。


日本では年収の20倍ぐらいの住宅を購入する時期があった一方、フランスでは、親が子供に「持ち家価格は年収の5倍が限界」と教える。たとえば、昔の別荘地である伊豆や蓼科などは、まさに80年代後半の10分の1に落ちている。定年退職後、リーズナブルな場所でリーズナブルな不動産を買うことは賢明な選択肢。