2011年8月24日水曜日

[2011/2012シーズン】HSVvsケルン(槙野出場試合)観戦記


共に勝点1で向かえた第4節、17位HSVと18位ケルンの最下位対決は、例によって互いのざるディフェンスへの撃ち合いとなり、2度リードしながらも負けるという今シーズン初観戦にも関わらず、何とも如何ともし難いゲームとなった。


ケルンは、この日もポドルスキーが後半開始からの出場となったように、(抜群のパフォーマンスはさすが!)各チーム移籍云々も有り未だ戦術を見極めている状況。HSVのこの日のスタメンは、ドロブニ、ディークマイヤー、ヴェスターマン、アオゴ、ライコヴィッチ、ヤンセン、テシェ、ヤロリム、ソン、シェルブレッド、ペトリッチとスタメン中3人が新戦力。水曜に獲ったライコビッチがいきなり点を獲って頼もしい限りだが、昨シーズン、毎試合スタメンを張っていたのはヴェスターマンただ1人と言っても過言で無い位のスタメン総入れ替え状態で、遂に最下位に突入してしまったのは何とも頂けない。切ったロスト、マタイセン、ゼ・ロベルトが如何に偉大だったかが分かった。国際Aマッチデーに突入し、今節終了後での監督の解任は無かったが、次節はアウェイでのノルトダービー(ブレーメン戦)。そのときも、刻々と近づいている。

夏の移籍市場で、ユベントスへの移籍が決まり、結果的に、この日がオランダ代表我らがエリアの最後の試合となってしまった。クラブでも代表でも相当な期待をされつつも、なかなか結果が出せない状況、このまま並みの選手で終わらない為には、環境を変えることが必要であったことは間違い無い。己の不甲斐無いプレーに、ハーフタイムに号泣したり、気持ちの入ったプレーと果敢に勝負を仕掛けるそのプレースタイルに、自分も含めてサポーターからの人気は絶大だった。イタリアそして、代表での活躍を期待したい。


さて、槙野であるが、この日もベンチ入りするも出場は無し。持ち前のコミュニケーション能力で、ポドルスキーらと仲良くやってる感じは何とも頼もしいが、ここら辺が槙野にとっての正念場。数少ないチャンスを逃すことなく是非とも古豪ケルンのスタメンを獲得して欲しいものである。


ベルゲン(ノルウェー)旅行記


スタヴァンゲルからバスごとフェリーに乗り込んだり約6時間の旅を経て、旅の最終目的地、人口約24万人ノルウェー第2の都市ベルゲンへ。13世紀から16世紀に建てられ、当時のハンザ商人の隆盛を今に伝える木造家屋が並ぶ一帯ブリッゲンは世界遺産に登録されている。


名産である干しダラの輸出でかつて急速に発展したベルゲンは、街の中心部に魚市場を持ち、新鮮な魚介類がその場で食べられる。ノルウェーは捕鯨国でクジラも売っているのだが、物価の高さと相まって?、売ってる魚の高いこと高いこと。なけなしの金をはたいてエビ4匹を焼いた奴を買ったが、ざっくり円で言うと800円くらいしちゃったのである。


魚市場の近くにあるケーブルカー乗り場から上るフロイエン山から見たベルゲンの街。ノルウェー最大の港湾都市として、こじんまりとはしているが山あり海ありで哀愁漂う、とても素敵な街。ベルゲンの人は、どこから来たかと尋ねられると、「ノルウェーから」ではなく「ベルゲンから」と答えるらしいが、その気持ちわかるなー。


オスロで発生したテロ事件からちょうど1ヵ月のこの日、町には半旗が掲げられていた。日本の消費税に相当するVATの税率が25%(ドイツは19%)で家計と企業が得ている所得のうち税や社会保険として国家に納める金額の割合を示す国民負担率が56.4%(日本は40.6%)と他の北欧諸国と同様に高く、いわやる高福祉高負担の国家とされる一方、1人当たりGDPの金額は9.5万ドルと世界トップクラスで日本の3.8万ドルと比較し遥かに高い経済水準を保っているノルウェー。街を歩いていると、噂通りの物価の高さにまず驚くが、この国そして他の北欧諸国から日本が学べること少なくないのでは無いかと思う。


2011年8月23日火曜日

プレーケストーレン(リーセフィヨルド)へ行ったきた


ということで、北欧横断旅行のメインディッシュ、リーセフィヨルドのプレーケストーレンへ。初めて購入したトレッキングシューズを履き、小雨の中、約2時間ひたすら山道を登る。


ノルウェー語で「教会の演説台」を意味するプレーケストーレンPreikestolen、水面からの高さが垂直約600メートルにもなる断崖の頂上へ到着。既に何がフィヨルドなのかよく分からないが、ここから眺める下界のフィヨルドはまさに絶景。


この日はあいにくの雨模様で、お弁当のおりんごやお菓子を食べながら過ごした頂上での時間のほとんど、崖の下を雲が覆い、何も見えない状況が続いたが、雲が明けたわずかな時間、その絶景と恐怖感をエンジョイ。プレーケストーレンの絶壁に腰掛けることが人生で1つのチャレンジであるが、万が一のとき洒落に成らないので回避。見た限りは、周りにもそんなチャレンジャーは居なかったかな。それにしても、防護柵が無いの凄くないですか?


死ぬまでに一度は訪れたい世界の名所29ヵ所」として、フィヨルドどうしようかなぁと思っていたときにたまたま見たサイトに紹介されその存在を初めて知ったプレーケストーレン。どちらかと言うと今まであまり、イグアスの滝のような、いわゆる大自然的な観光名所には行ってこなかったが、月並みではあるが地球そして自然の偉大さを感じる旅、悪くないなと。


2011年8月21日日曜日

リーセフィヨルドの起点スタヴァンゲル(ノルウェー)旅行記


中学校の地理の教科書にも出てきたと記憶されるフィヨルド。ノルウェー語で「氷河の浸食により複雑な形状をなしている湾、入り江」という意味だそうだが、言葉で説明されてもイマイチ良く分からない。何となくギザギザしたノルウェーの西海岸線を想像するのは自分だけでは無いと思う。


オスロからスタヴァンゲルへの移動は、海岸線に沿ってノルウェー南部の中心クリスチャンサンKristiansandを経由したノルウェー国鉄約8時間の旅。その独特な谷の景観と断崖絶壁の山々とそれが映し出される海面の絶妙なコントラストが初めて見るものを魅了するも、これをフィヨルドと呼んで良いのか悪いのか定かで無い。ちなみに、電車の中でその風景に見とれた感があったのは自分たちだけ。地元の人にとっては至って普通の光景なのだろう。


ベタ過ぎるが、こんなんまさしく「世界の車窓から」やないか。ということでホームページをチェックしたところやはり、「白銀のスカンジナビア半島周遊の旅」と題して、2006年3月20日から6月4日放送にかけてスウェーデンとノルウェーを訪れている。(以下、抜粋)

深々と降り積もる雪、昇らない太陽。冬の北欧は一面に真っ白な雪原が広がり、港も凍る寒さです。列車はコペンハーゲンを出発してスウェーデンへ入国。古城が点在するスコーネ地方や「ガラスの王国」に寄り道しながら首都ストックホルムへ向かいます。夜行列車で一気に北上、ラップランド地方へ。そこは北極圏、氷点下30度の極寒の大地を駆け抜け、ヨーロッパの最北端の駅、ノルウェーのナルヴィークを目指します。フェリーでロフォテーン諸島をめぐり、ボードーからフィヨルド海岸に沿って首都オスロまで南下。走行距離約4,800キロの旅の終着地ベルゲンは、暖かな春の気配を感じます。

冬の季節もいいんだなぁ、と思うこと無かれ。地図を見てもらうと分かるが、今回のルートを見事にスルーして旅を終えている。ちなみに、今はドイツの東を訪れているようだが過去何度もドイツに来ているようだ。何故か、ドイツの車窓が魅力的に感じてしまうその気持ち、良く分かる。


ということで、今回の北欧横断旅行のメインディッシュはリーセフィヨルドへの起点となるスタヴァンゲルへ到着。人口約11万人の小さな港湾都市だが、町並みもお洒落で中心に立派な大聖堂を持つ。単なる旅の起点としてだけでは無く、こじんまりとした街の魅力、ビシビシと感じることができた。

ちなみに、このスタヴァンゲルには2泊したのだが、リーセフィヨルドへの往復はほぼ日中の丸一日を要する為、余程先を急ぐので無ければ2泊が無難。2日目リーセフィヨルドから帰ってきてから十分に町を見て回れるレベルの大きさな為、1日目の入りは早い必要は無いと思う。


2011年8月20日土曜日

オスロ(ノルウェー)旅行記


北欧(+バルト1ヵ国)横断旅行、最後の国4ヵ国目、スカンジナビア半島西岸に位置するノルウェーの首都はオスロ。スウェーデンやデンマークと同じく通貨がユーロでは無く、ノルウェークローネを使用しているのは周知の事実だが、意外と知られていないのが、欧州連合EUへも加盟していないこと。1972年、1994年、2度の国民投票で否決され未だに非加盟。

それでも、衛兵交代式はやる。


ロンドン、ストックホルムのそれと比較して厳粛な感じが全く無く、逆に言えば、見世物としてでは無く、必要があって本当に交代しているような感じがする。(どこも、本当に交代しているのであろうが。)あと、帽子の右側にみんなダスキンのようなものを付けているのが気になる。


前日、ストックホルムで約1時間それなりの交代式を見せて頂いたのと、この日勃発した体調不良により遠めからの視察。衛兵交代式とは思えない秩序の無さが際立つ。特筆すべきは、先頭で馬に乗っているのが皆女性だったこと。


2011年7月22日、オスロにある17階建の政府庁舎が爆破され8名が死亡し並びに、同日オスロ郊外のウトヤ島にて銃乱射事件が発生、69名が死亡するという何とも許し難いテロ事件が発生した。

容疑者が変名で発表した、1500ページもの「2083ヨーロッパ独立宣言」という文書には、「ヨーロッパのイスラム化」への反発や、現代社会の「偽善」告発が頻出し、容疑者は2009年の総選挙で第二党(23%)となったノルウェーの極右「進歩党」に以前、所属していたという。旅をして感じもしたが、オスロでは(ストックホルムもその傾向があるようだが、)イスラム教徒が多い地区やアラブ系専門の飲食店が急速に増えているとのこと。

北欧では、他のヨーロッパ諸国と比較し移民受け入れのハードルが低く、ノルウェーの今年の人口統計では、総人口492万人のうち10%超の60万人が移民またはその子孫。(スウェーデン14%、デンマーク9.5%)いわゆる「寛容」という言葉で知られる北欧の「多文化主義」として、フランス語学習を義務付けるフランス等とは大きく異なり、移民に対し現地との統合を強要しないのが特徴だという。

以上、事実のみで個人的なところは避けるが、オスロ大聖堂で細やかながら献花。


ストックホルム(スウェーデン)旅行記


ということで、北欧最大の国スウェーデンの首都、ストックホルムへ。スウェーデンと言えば、福祉国家の代表として名高く、最近ではイケアやH&Mで有名。個人的には、イブラヒモビッチそして今回清水への移籍が決まったリュングベリ等数多くの選手を輩出し、代表も他の北欧諸国とは一線を画した実力を持つスウェーデンサッカーに日韓大会予選リーグ3試合追っかけさせて頂いた関係で、親近感を持つのと同時に、勝手にスウェーデンの国そのものにも親近感を持っていた。

ちなみに王宮がある、旧市街ガムラ・スタンは魔女の宅急便のモデルと言われているらしいが、またしてもキラーコンテンツ。恐るべし北欧。


旅行シーズンだからであろうか、この日のストックホルムのレートは、え!って感じだったので、比較的なリーズナブルなホテルを、市の中心部からは若干離れたガムラ・スタンの南にある、ショッピング&グルメスポットとして注目(らしい)のエリア、セーデルマルム島に確保して辺りを物色。カフェやらバーやら雑貨屋やら、道行く人々を含めてそれはまたお洒落であること、この上無い。自転車専用道路がビシッと設けられていて、自転車に乗ってる人をかなり見掛けたこと、備忘録として記す。


ヨーロッパ名物?衛兵交代式。スウェーデンのそれは、開始から終わりまで1時間程を要し、ふつうに鼓笛隊が我々観客の為に演奏しているのでは無いか?と思えるような演奏が何曲か続き曲調もいい感じ。ロンドンのそれと比較してさほど厳格で無いところが国民性を表しているようでとても面白い。


旅行も4日目に突入し且つ、物価が比較的高いストックホルムはそれなりのものを食べに行くと、それなりの値段がしてしまうのでという理由を付けて、恒例の日本食実態調査はストックホルムに複数店舗を持つという、三代目加藤へ。初め、ホテルの前にあった店に突入するも、夜は閉まるとのことなので、歩いていけるところにある別店舗(本店かな?)を紹介して貰う。港町だけあって寿司に唐揚げとふつうに美味しかった訳であるが、特筆すべきはキリンの生中が置いてあったこと。キンキンに冷やされたグラスに、キンキンと注がれたキリンのビールをキンキン飲んだが、生中は日本が誇る1つの食文化であることを確かに認識した。現地人もおひげに泡つけて、美味しそうに飲んでたを。


2011年8月19日金曜日

シリヤライン バルト海クルージング(ヘルシンキ-ストックホルム)


北欧横断旅行のメイン、タリンク・シリヤラインTallink Siliya Lineの豪華フェリー、シリヤシンフォニーSiliya Symphonyによるバルト海クルージング。シリヤシンフォニーは、全長203メートル、総トン数58,376トン、客室数995、贅沢満喫を目的としたこんな化け物を作った輩に心から乾杯。

こんな船、買うといくらすんだ?と素朴な疑問を持ちながら意気揚々と優先搭乗。



ヘルシンキ17時発、ストックホルム翌朝9時半着、日常を忘れたまさに夢のような時間。ここが噂の吹き抜けになったプロムナード。ここは本当に船の中ですか?と聞かずには居られない程、レストランやバーに免税ショップ等たくさんのショップが通路の左右を埋め尽くす。こんなもん作った輩、作ろうと思った輩をリスペクトすることこの上無いが、このプロムナードに面した客室が外の景色は見えないにも関わらず、結構人気だそう。自然よりも人間模様を見る方が好みとは何と乙な。


船内には選ぶのに困る程、レストランがあるが、値段もリーズナブルな飲み放題のビュッフェスタイルのディナーが人気。サーモンやニシンに貝などが食い放題なのは勿論であるが、インターナショナルな老若男女が船上でビュッフェに集うことでその場に漂う何とも言えない高揚感と、まだまだ明るい外の景色が最高のつまみ。これぞ、贅沢ってもんだ。ちなみに、ビュッフェはウェブ等を通して事前に予約もできるのだが、当日船に乗り込んだその足で店先でやっている予約カウンターに向かい、自分の好みの時間帯の席を予約するのが良い。


プロナードには、サプライズ的にピーターパンが現れ、良く分からないストーリの下、皆で軽快な?ダンスを繰り広げる。その他、主に子どもを飽きさせない施設やイベント等数多く用意されているのがとても素晴らしいと思う。


バルコニー付き、一等船室のコモドーア・クラスは豪華朝食付で1室355ユーロ。デッキ専用の2つのサウナとバーがあり、優先搭乗(かなり並ぶので結構重宝する)もできたりと、交通の手段としてでは無く、クルージングそのものを楽しむのが目的ならいいのではないでしょうか。


8月という時期的に、いわゆる白夜では無かったが、夜は10時過ぎ迄、朝は4時頃から日が昇り、カジノやナイトクラブと文字通り眠らぬ夜が準備されている。この日は早めに退散したが、例によって深夜永遠と続く、超絶ヒットパレードダンスタイムが繰り広げられていたであろうこと、想像に容易い。ヨーロッパのおじさん、おばさんは本当に元気だ。


いつもより朝早起きして外を眺めると、スウェーデンのフィヨルドそして1家に1台はプレジャーボートを持っていると言われる北欧の人々の豪華な海沿いの別荘等お目に掛かることができる。

ヨーロッパでは旅の主要な選択肢の1つであるクルーズ(船旅)を今回初めて体験したのだが、著書でこのシリヤラインを勧められている大前研一さんの言葉を借りると、「船上でゆったりと移り変わる景色、何者にも邪魔されない自分だけのゴージャスな客室。飛行機や鉄道の移動では体験できない時間の流れに1度味をしめてしまったら、もう船旅は止められない。」今回、また1つヨーロッパで人生の楽しみ方(贅沢)を教わった。天気がイマイチだったのがちょっと残念だけど。

ちなみに、船はほとんど揺れないので、私が大丈夫だったので船酔いの心配は無いでしょう。


2011年8月17日水曜日

スオメンリンナ島


ヘルシンキからフェリーで南へ約15分渡ったところにある、スオメンリンナ島はかつてフィンランドの南海岸を守る要塞として、スウェーデン・ロシア戦争、クリミア戦争等で重要な舞台となった場所。現在は世界遺産へ登録されている。それにしても、タリンと言いヘルシンキと言い、世界遺産がとても気軽なものに思える今日この頃。


スオメンリンナ島に向かうフェリーが出るエテラ港はストックホルムへのタリンク・シリヤライン等も発着するヘルシンキ海の玄関口。隣接するマーケット広場には、果物や野菜などたくさんの露店が立ち並ぶ。



ヨーロッパに住んでいると、訪れる町に魚があるだけでテンションが数割増しとなるのは日本人の性であるが、ここヘルシンキの名物は、ニシンのフライ。多くの露店でサーモンなどと一緒に売られている。購入したのは色んな意味で鉄板の、カラマリ(イカ)のフライとのセット。輝く太陽の下、海を眺めながらイカリングをつつくことこれ以上無い至福。ビールがあればそれはまた最高なのだが、フェリーに乗る前、万全を期してお水で済ます。ちなみに、フィンランドは北欧諸国の中で唯一、通貨がユーロで、他と比べて物価もそう高くないので、このような気軽なつまみ食いも気軽にできる。


かつては激しい戦争の舞台となったこの島も、今は博物館や教会、レストランが点在する緑多き公園で市民憩いの場となっており、ヘルシンキを対岸に眺めながら家族や知人とゆったりと時を過ごす人々を多く見ることができる。このような光景は、ヨーロッパの至る所で見られる日常だが、初めて訪れた場所で改めて接する日本には無い(と思う。)このようなライフスタイルから考えることは少なくない。


ヘルシンキ(フィンランド)旅行記


タリンク・シリヤラインの高速船スーパースターで北欧の入り口、フィンランドの首都ヘルシンキへ。この日の天気は、文字通りの快晴。デッキで朝からビールを飲みながら、日を燦々と浴び、これぞまさに贅沢と幸福に浸る。


欧州へ最短最速で売るフィンエアーに所属するMr.ヨーロッパにより、日本での露出も他の北欧諸国と比較して高いと勝手に想像するフィンランドはデザイン王国として有名。街の中心に居を構えるアカデミア書店は、本棚や家具も全て巨匠(らしい)アルヴァ・アアルトのデザイン。イッタラiittalaやらマリメッコmarimekkoやら、街のメイン通りを闊歩するだけでまるで自分もお洒落になったかのような錯覚を起こしてしまうのでご注意。


ヘルシンキで特筆すべきは、地下鉄のお洒落っぷり。これまた、アンティ・ヌルメスニエミというそちらでは有名な匠のデザインだそうだが、地下鉄をそのような方向で推進するところに1つのプライドを感じるし、こんな車両で毎日通勤・通学すれば人々のテンションに少なくない好影響をもたらすこと想像に容易く、素晴らしい。ちなみに、ヘルシンキはコンパクトにまとまっているので地下鉄は利用せず、写真のみ。こんなん乗ってしまうと、自分はお洒落さんかとまたまた勘違いしてお高く留まってしまうのでよろしくない。


フィンランド料理、トナカイ肉のソテー。肉に塩が効いていて、甘酸っぱいベリーのソースと絡み合って美味い。ベリーワインがフィンランドの名物だが店に置いてなかった為、ベリーのお酒を炭酸水だかトニック・ウォーターだかで割った奴を美味しくゴクゴク頂く。


フィンランドは泣く子も黙るムーミンというキラーコンテンツを持ち、最近ではかもめ食堂の影響もあり、Mr.ヨーロッパがアピールするように日本から9時間半(フランクフルトは、12時間強)の直行便がある為、街では多くの日本人を見掛けた。フィンエアーも、ヨーロッパ各地へフライト持つのでヘルシンキを起点とした旅行なんて日本から行くには結構いいんじゃないか。バルト三国にもフェリーですぐに渡れるし。Mr.ヨーロッパが主張すること、良く分かる旅であった。


2011年8月15日月曜日

タリン(エストニア)旅行記


さて、旅の始まりはバルト三国の1番北はエストニアの首都、バルト海のフィンランド湾に臨む港町タリン。エストニアは長い占領時代を経て1991年に独立し、2004年にはEUへの加盟を果たす。今年、2011年には欧州単一通貨ユーロが導入され、欧州文化首都(EUが指定した加盟国の都市で、一年間にわたり集中的に各種の文化行事を展開する事業)に選定され、訪れてみて感じたことだが、まさにこれから期待される街と言って良いだろう。

写真は町の最も重要な出入口を守るため、1529年に建てられた砲塔、ふとっちょマルガレータ(実名。由来は割愛。)


世界遺産にも指定されている旧市街のメインストリート、ヴィル通り。約2.5kmの城壁に囲まれ、かつて支配者や貴族たちが居を構えた「山の手」と、商人や職人たち市民が築き上げた「下町」とに分かれる。というのは、地球の歩き方からのパクリであるが、空港からバスを利用し降り立った街は、今まで訪れて来た色々なヨーロッパの街と比べて何ら遜色無く、良い意味で至ってふつう。バルト三国と聞いて、もっと田舎の街を勝手に想像していたが、そんなことは全く無く、広場に並ぶレストランには、民族衣装を着たキレイな女性が並び、街全体に観光客を含めて、何とも表現し難いがとてもいい雰囲気が漂う。


エストニアで驚いたのが、空港、バス、ホテルと至る所でフリーのWi-Fiを使うことができる。Wikipediaによると、タリンは「バルト海のシリコンバレー」と言われているらしい。(言い過ぎ?)Skypeの本拠地がエストニアであることは巷で有名。国政選挙には電子投票が用いられている。面積は北海道の約6割の広さしか無く、人口も130万人程度しか無いのであるが、国家としての意思が感じられ非常に素晴らしいと思う。


資本主義への移行、EU加盟などを機として、エストニアは西側(特に北欧)資本流入の真っ只中。タリンは、フィンランド湾を隔てて隣国となるフィンランドの首都ヘルシンキとわずか80kmしか離れておらず、フェリーで3時間程度、高速船なら1時間半程度の距離。フィンランドよりも物価(特に酒類)が安いため、タリン市内へ多くの買い物客がフェリーを利用して訪れる。

ということで、フェリーで北欧へと乗り込むことにする。


8泊9日北欧横断旅行記


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日本のお盆に合わせて取った夏休み。バルト三国のエストニアを含めた、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー4ヵ国を訪れた。「ヨーロッパ」全ての国を訪れる欧州制覇へ向けて大きく飛躍したのは間違い無いが、物価が高く通貨も異なる(大変)北欧で過ごした8泊9日の横断旅行の2大メインは、ヘルシンキとストックホルムを1泊2日で結ぶ豪華フェリー、シリヤラインとノルウェーの五大フィヨルドの中で600メートルの断崖絶壁プレーケストーレンで有名なリーセフィヨルド。以下、時系列で綴っていきたいと思う。(Googleマップを上手く収めきれず、すみません。)


A エストニアの首都、タリン


フェリーで約3時間


B フィンランドの首都、ヘルシンキ


17時発、翌朝9時半着のフェリー(Tallink Silja Lineタリンク・シリヤライン)


C スウェーデンの首都、ストックホルム


飛行機で約1時間


D ノルウェーの首都、オスロ


電車で約8時間


E リーセフィヨルドの拠点、スタヴァンゲル


バスで約6時間


F ノルウェー第2の都市、ベルゲン












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2011年8月14日日曜日

ハドリアヌス帝の回想

空前の繁栄と平和が続き、Pax Romana(ローマの平和)と呼ばれた約200年間の時代。いわゆる五賢帝の1人ハドリアヌス(在位西暦117~138年)が自分の義理の孫にあたる五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝に宛てて書いた手紙の形をとったフランス文学。前帝のトラヤヌスにより、ローマ帝国の領土が最大となった後、ローマ帝国全体の統合と平準化を図り、官僚制度を確立したこと等で知られているハドリアヌスの長期の巡察旅行に見られる行動力等、リーダーとして学ぶべき点多数描かれているが、驚くべきはハドリアヌスの自伝では無いかと思える程の作者の表現力。そしてそれを日本語でも充分に感じることができる翻訳の素晴らしさ。この本をナンバーワンに挙げられているライフネット生命の出口社長が言う、まさしく読んだ後に「毒」の残る、今後何回も読み直したい名著。


しかしながら、この程度の何ともチープな賛辞しかできない己の文学への長けなさを憂う。












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2011年8月13日土曜日

ポートフォリオ2011年8月12日

今回の株式市場「暴落」&円高局面に乗じ、通常は給料日に設定している投信積立を先行実施。さらに、翌日も株価、為替共に大きな変化が見えなかった為、9月分の積立を前倒し実施。債券用の資金は外国株式に回した。コツコツ積み立てているインデックス投信の評価損益は今回、一気に全クラスでマイナスとなったが、安く買えたことが素晴らしい。結果的に、各クラス共にそれなりの暴落を喰らったものの下記ポートフォリオは7月末と比較して微動だにしなかった。これは何を意味するのだろう?ちなみに、ヨーロッパに住んでいてアメリカ、日本の動きを見ていると、既に今週の何曜日に買ったのかすらも覚えてない。それにしても、8月ってのはよく何かあるな。





 



2011年8月7日日曜日

大前研一通信2011年8月号

今月号の特集は、原発問題と今後の日本


「原発再稼動への合意形成プロセスを提案する」という記事が、nikkei BP netに上げられている。(記事そのものは、こちら


九州電力の「やらせメール」問題への古川知事の関与で、辞任云々という話にまでなっていて未だにゴチャゴチャやっているので、そもそも何が問題とされているのかをキャッチアップできていなかったので、軽く追ってみたが、古川知事と九州電力幹部が面談した内容が記載された九州電力佐賀支社長作成の「メモ」が漏れて、その内容についてどうのこうのとなっているようだ。そんな言った言わないのようなことを永遠と追求して、何か意味あんのか?


それはさておき、日本の原発は13ヵ月運転するたびに2~3ヵ月の定期検査を行う。検査が終わると、原子力安全・保安院がチェックし、それを受けて地元の市町村長と道県知事が了承したら政府が再稼動を認める、という流れになっている。法律でそう定められているわけではないが、慣習上そうなっているらしい。原子力安全・保安院が経済産業省の機関であることを始めて知り、海江田大臣が佐賀まで来たこととようやく繋がった。ちなみに、原子炉の安全確認と電力供給責任は経済産業省の主管事項とのこと。


福島第一原発の事故以降、定期検査を終えても周辺住民や自治体の反対にあって電力会社が再稼動できない事態が相次いでいる。このままだと、1年以内にすべての原発が停止し、全国で30%の電力不足(電力の30%を原発に依存しているイメージ)が発生するという。大前さんは、国民の原発再稼動へのコンセンサスを得る為に、福島第一原発の事故分析をベースにした再発防止策を策定することを提言している。事故分析からストレステストの項目を絞り出すのに3カ月。IAEAにそれを提示して彼らと混成チームでストレステストを実施するのに3カ月。そして必要な改修工事などに3カ月。全9カ月を透明なプロセスでやることによってのみ、来年3月に全54基が停止状態となるのを避けることが出来るというものである。この工程より3ヵ月遅れて、来年夏までにかなりの炉が再稼動できていなければ日本経済は壊滅的ダメージを受けるであろう、としている。


長期的にどうするかはひとまず置いといて、やるべきことをやらないとそろそろ不味く無いか?(一人称で語れず、すみません。)


と一旦書いた後、孫さんと堀さんの「トコトン議論」を読んで大前さんが言う「壊滅的ダメージ」とは何ぞや?と。やはり長期的な視点も含みつつ、なるはやでの国民的議論が必要という結論とする。ただ、今の政治だといつまで経っても国民的議論が発生しない(と思う)のが厄介だ。


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2011年8月6日土曜日

パリ旅行記


約半年ぶりに花の都パリへ。ハンブルクから値段等含めて、1番気軽に行ける街と言っても過言では無い。最高のビューポイント(16区シャイヨー宮テラスかな?)から見る、エッフェル塔は秀逸。


今回の旅の目的は、フランス語でsoldeと言われる夏のセールとディナー。パリに住む、会社の先輩にアテンド頂き、牡蠣を中心とする海の幸とフランス人がよく飲むというロゼワインを、たらふく飲み食い。そう言えば、丁度ジャパン・エキスポの開催期間中だったので、お勉強とドリームモーニング娘の石川梨華、吉澤ひとみ両氏の視察も兼ねて日中、訪問。メインスポンサーがサムソンで韓国企業がこぞって出展していたのは頂けない。


フランス映画「アメリ」の舞台にもなった芸術家の街、モンマルトル。サクレクール寺院をバックに、前日の深酒から脱する為、パリジェンヌ?に混じっての昼寝は秀逸。



お洒落で食事も美味しく、何を取っても文句無しに思えるパリであるが、世の中には「パリ症候群」という言葉が存在する。Wikipediaによると、パリ症候群(パリしょうこうぐん、仏: le syndrôme de Paris, 英: Paris syndrome)とは、カルチャーショックの一種。「流行の発信地」などといったイメージに憧れてパリで暮らし始めた外国人が、現地の習慣や文化などにうまく適応できずに精神的なバランスを崩し、鬱病に近い症状を訴える状態を指す精神医学用語である。と説明されている。自分の中で、何故パリがそうなのか答えを見つけきれていないが、魔力的な魅力を備えているのは、何となく分かる。ハンブルクの家から、また行こう・笑